10. 敗 者 と 勝 者 あまり考えたことはなかったが、たぶん俺は、“俺がいなくても平気な女”が好きなのかもしれない。俺の一挙手一投足に振り回されることのない女。個人の面倒事に俺を関わらせない女。それでいて、それなりの心地よさを与えてくれる女。ついでに美人でスタイルが良ければ尚良し。考え始めると、理想というのは果てのないものだ。妄想めいたそれらはあまりに馬鹿馬鹿しく、とりあえず生身の女に触れればいい、という即物的な結論に至る。 「女側の幹事が、高校の同級生でさ。結構かわいいんだよ」 悪友は俺の耳元でそう囁いた。男3人で居酒屋の個室に通され、酒も飲まず煙草も吸わず、ただこれからやってくる生身の女3人を待つ時間。俺が恋人と別れたと知るやいなや、頼んでもいないのに、俺のために企画された合コン。今すぐ恋人が欲しいという気分でもなかったが、可愛い子と酒を飲めるなら、それはそれで楽しめるだけのコンディションではあった。 「なあ、太刀川ってどういうのがタイプだっけ?キレイ系?カワイイ系?」 「どっちかというとキレイ系」 「だよなー、何かわかるわ。俺の同級生、キレイ系だから、期待していいぞ」 そう言ってにやついているこの男は、遊び慣れていてよくモテる。合コンでは必ず盛り上げてくれるし、集める女の子も当たりが多いので、俺もそれなりに信頼を寄せている。そいつが期待していいというのなら、なかなか楽しみだ。 「失礼しまーす。お連れ様いらっしゃいましたー」 明るい店員の声と共に個室の扉が開かれた。一人の女が遠慮がちに顔を覗かせる。品の良い茶髪。白くて丸い頬は、見ただけでわかる。手のひらに吸い付くような柔らかさだ。 「ごめんなさい、遅くなっちゃって」 「おー、いいよ、全然!座りな座りな」 一番に入ってきたのが、例の同級生らしい。確かにきれいな顔立ちをしていて、ファッションセンスも悪くない。悪友は俺の方を一瞥してから、慣れた手つきで、続いて入ってくる女たちにも着席を促した。同級生の女が俺の前に座る。今夜はラッキーだな、と思いながら、2人目と3人目の女たちにも目をやった。 「・・・・・・」 3人目の女と視線が合った。セミロングの毛先を軽く巻き、パステルブルーのモヘアニットを着ているキレイ系。気の強そうなその目は、俺を見てたちまち大きく見開かれた。 「・・・た、太刀川」 馬鹿、呼ぶな。しかし呼ばれた手前シカトすることもできないので、俺は小さく「よう」と答えた。その場にいた全員が一斉に、俺とを交互に見る。馬鹿、何でお前がここにいるんだよ。 「あれー、なんだ太刀川、知り合い?」 「ああ、ボーダーの」 「へえ、ボーダーってこんな可愛い子もいるんだ」 悪友は人好きのする笑顔をに向け、そのまま正面に腰を下ろした。小さく頭を下げたの横顔が、面白いくらい戸惑っているのが分かる。 「じゃ、とりあえず乾杯しよっかー」 誰かの掛け声に、運ばれてきたビールジョッキを持ち上げた。正面の女とジョッキを合わせると、きっちりと微笑まれる。なるほどな。俺は思わず微笑み返してしまった。なるほど、なるほど。俺は、目の前の女が自分に好意を持っているかどうか、簡単に見抜けてしまうのだ。 飲み放題の終了時間が迫る頃、俺のスマートフォンが小さく震えた。 『二次会どうする?』 メッセージの送り主である悪友の方を見る。ちょうど目が合った。俺は「任せる」という意味で軽く二、三度頷いてみせる。すると再び手の中でメッセージ到着を告げる振動があった。 『俺、ちゃんいっていい?』 最初の反応からして、気に入っているのだろうとは思っていた。飲み会の最中も色々と気を配って、褒めたり、適切なバランスでいじったり、を笑わせることに努めていた。実際、も楽しそうに過ごしていた。俺の方は一秒たりとも見ようとしなかったから、逆に言えば正面の男と楽しむしかない。そして結果、は、俺の悪友の「いけるかも」という感覚に引っかかってしまったわけだ。 『どーぞ』 端的なメッセージを打ち込んで送信した。そもそも、俺の許可を取る必要はない。ちらりとの方を見やる。は静かに目を伏せて、細いマドラーを手にカクテルをかき混ぜていた。俺の友人は『悪友』ではあるが、悪い人間ではない。女を手に入れるためにあれこれ思索しているような奴だから、女側からすれば楽しませてくれる男といえるだろう。男がいないといけないくせに大事にしないとの相性は、悪くなさそうだ。ほんの一晩楽しむだけなら最高なのかもしれない、が。 『結構めんどくさいけど、がんばれよ』 追加でそんなメッセージを送って、俺はスマートフォンをしまった。正面の女に向き直る。悪友との今後も気にならなくはないが、それより自分だ。別にこの子と一生付き合っていきたいわけではない。でも、とりあえず今夜、肌に触りたい。 目を覚ますと、胃の辺りが重く沈んでいるのを感じた。同時に頭痛の始まりを告げる鐘が鳴る。二日酔いだ。うんざりした気分で体を起こす。部屋には誰もいなかったが、散らかっていたはずのローテーブルの上はきれいに片付けられていた。昨夜は二次会のカラオケの後、帰りが同じ方向だということで、目当ての女と一緒に帰った。そのまま、ごく自然な流れで俺の家で飲み直すことになった。そして、眠くなったと言う彼女を泊まらせて、まあ、計画通りになった。俺より先に起きて家に帰っているという点も含めて、言ってしまえば最高の結果だ。幹事の悪友には礼を言わなければならないだろう。 昼前の任務に間に合うように支度をしながら、ふと、はどうなったのだろうと思った。昨日あの場にやって来た偶然には驚いたが、俺たちは最初のあいさつ以外ほとんど喋らなかったし、二次会の最中は俺ももそれぞれ楽しんでいたので、その後のことはもう気にもしていなかった。今日は、の所属する隊も防衛任務のはずだ。新しい彼氏が出来たなんて報告をされたら・・・結構笑える。 マンションの下の自販機で缶コーヒーを買い、コートのポケットに入れた。昨夜は気にならなかったのに、住宅街を吹き抜ける冬の風はあまりに冷たい。今朝、あの子はこの寒さの中を一人で帰ったのだな、とぼんやり思う。置き手紙もメールも無かった。付き合うとかそういう話にはならなかった筈だから、彼女自身も、これ以上俺と深く関わるつもりはないのだろう。俺の計画通りに事が運んだと思っていたが、実は彼女の計画に、まんまと乗せられたのかもしれない。そういう強かな女は嫌いじゃない。連絡先は知っているから、そのうちいずれ― 「おはよ」 あと少しで基地に到着するところで声を掛けられ、振り返った。すっと横に並んできたのは、マフラーで口元を覆い、寒そうに肩を竦めているだった。ヒールの無い靴を履いているようで、いつもより幾らか小さく感じられた。 「あ、その顔は二日酔い?」 「ちょっとな。お前は?」 「平気」 そう答えるが、昨日と同じ服を着ていないことを確認して、妙にほっとする。別にホテルから直接本部に来たって構わないのだが、俺と会う確率が高い中で、そんな分かりやすいことはさすがにしない。意地でも着替えてくるだろう。は、男関係は開けっぴろげな方だし、どちらかというとだらしない方だと思うのだが、くだらない隙は見せないタイプなのだ。そういうところが、出水たちに「憧れ」だといわれる所以なのだろうか。 「、昨日どうだった?」 「どうって」 基地が近くなってきたので、俺は念のため声のトーンを落とした。あまり簡単に周囲に知られると面倒な話だ。 「俺の友達、いい奴だったろ?あの後、二人でどこ行ったんだよ?」 がぱっと顔を上げた。目元に苛立ちが見えて、一瞬怯んでしまう。 「どこにも行ってない。帰ったよ」 「は?そうなのか?」 「あんたと一緒にしないでよね」 俺と一緒にされたくないのは、俺の悪友のことか、それとも自身のことか。なら、合コンで知り合った男とその日の内に関係を持つ、というのを、一度や二度は経験していそうなものだが。どちらにせよ俺の悪友の計画は失敗に終わっていたらしい。さぞかし悔しかったことだろう。 「じゃあ昨日は、連絡先だけ交換して終わりか?」 勿体無ェな。そう付け足すと、がぴたりと足を止めた。 「私・・・、好きな人できたから」 思いがけない返答だった。まもなく、じゃあ何で昨夜あの場に来たんだよ、という言葉が喉の先まで出かけた、が、堪えた。は照れもせずにまっすぐ俺を見上げている。 「昨日は、人数合わせで行っただけなの。・・・太刀川がいるとは思わなかったし」 言い訳めいたものをマフラー越しに呟いて、は歩き始めた。すっと追い抜かれる。なぜか機嫌が悪くなってしまったらしい。寒さで猫背気味に歩く後ろ姿を、面倒くさいな、と思いながら後に続く。本部のエントランスには見知った顔が何人かたむろしていた。何も知らない彼らは、俺たちにフレンドリーにあいさつの声を掛けてくる。それに対して穏やかに言葉を返すは、もうボーダー用の顔になっていた。 コートのポケットに手を入れて、缶コーヒーに触れる。多少冷めてしまったが、ささやかな温度にはやはり安心感がある。昨夜ベッドに連れ込んだ女は、確かにキレイだったけど、一体どんな顔をしていたっけ。俺は、女の肌が与えてくれる安心感がただ欲しかった。俺がいなくてもまるで平気そうなあの彼女は、何の痕跡も残さず消えていたけど、彼女は彼女で、何かが欲しかったのだろうか。そしてそれを手に入れて帰ったのだろうか。好きだという気持ちは互いにまったく芽生えていない。ついさっきまではそれでよかった。それなのにが「好きな人ができた」なんて青臭いことを言うものだから、今度は俺がそれを欲しくなってしまった。 |