11. 風 が 吹 く ま で 日が暮れた後の廃棄区画は、昼間以上に寂れて見える。 ほんの数年前まで、確かにここに暮らしていた人たちがいた。今は別の土地で暮らしている人がほとんどだが、中にはここで命を落とした人もいる。未だに故人を思って泣く人もいる。そんな人たちが、自由に暮らしていたはずの町。 防衛任務は『見張っている』ことに価値があるので、定点観測が基本だ。しかしじっとしているとさすがに退屈さを感じることもある。強い奴とやり合いたい、という欲求が、ふつふつと沸いてくる。しかしこの荒れた町を見ていると、さすがの俺でもこの場でそんな欲求を口にすることは出来ない。それは多分、隣で瞬きをしているも同じだ。 「・・・寒いね」 トリオン体でいると気温の体感はほとんど無いのだが、は感度の設定を高めてあるようで、本当に肩を竦めてみせた。 「冬だからな」 俺は普段通りの感度にしてあるので、寒さも暑さも無く、快適だ。今なら後ろからバッサリ切られても、『痛い気がする』程度で済む。トリオン体でいることの最大のメリットはそれだと思う。見慣れた町並みが違う世界のようにさえ思える感覚。 俺たちが防衛任務で同じエリアを担当することは珍しい。俺たちがいるポイントは先日から警戒度が高まっているらしく、誰が担当するのであっても必ず2人1組になるように言われていた。だからといって、俺とで組むことになるとは。単なる忍田さんの思いつきなのだろうが。 「ねえ、あの子とどうなったの?」 町に視線を向けたまま、が唐突に言った。俺はその横顔を見ながら答える。 「誰?」 「・・・お持ち帰りしたでしょ、私の友達」 の口ぶりからすると、友達とはいってもそれほど親しいわけではないらしい。 結局あれから、合コンで知り合った女からの連絡はない。本当に一度限りのつもりだったのか、それとも、寝たせいで一度限りにされてしまったのか。 「別に、あれっきりだよ。俺ももっと勉強しろってことだな」 一応教えてもらった連絡先は、俺にとってももう不要なものになりかけていた。普通、一度関係を持ってしまえば2回目へのハードルは著しく下がるものだが、おそらく彼女は逆のタイプだ。2回目を求めた方が負け。俺は、こと恋愛において負け戦を挑むのは好きじゃなかった。プライドが許さない。 「相変わらずだね、太刀川は」 呆れたようにそう言われる。ネガティブな意味での“相変わらず”なのだろうが、反省する気は微塵もなかった。別に無理やり連れ込んだわけでもないし、互いに良い時間を過ごしたのだから、それはそれで構わないだろう。 「お前はどうなんだよ。好きな奴ができたとかって言ってたけど」 「うん、そう」 「大学の奴か?」 俺たちは昔から互いの恋愛事情を隠すことがなかった。あえて相談するようなこともないが、聞かれれば包み隠さず話してきた。今更、見栄を張ったり、羞恥心を抱いたりする必要がないのだ。だからいつも通り聞き出そうとしたのだが、は俺の方を見なかった。 「・・・太刀川には言いたくない」 は、と思わず声が出た。初めて反抗期を迎えた娘と対峙する父親は、こんな気持ちになるのだろうか。それくらい、不思議な衝撃があった。 「何だよ、それ。まさかこの期に及んで既婚者とかいわねえよな?」 「もう・・・そんなはずないでしょ」 うんざりしたような表情を見て、そこに嘘はないと確信する。それなら別に隠すようなことはないだろうに。しかし言葉を続けようとしないところを見ると、きっと、相手は俺の知っている奴なのだろう。 その時、ちょうど国近からの指示が流れてきた。 『太刀川さーん、もうすぐ終了時間だよ。最終チェックお願いね』 「了解」 同じタイミングでにも似たような指示があったらしく、俺たちの返事は揃っていた。がちらりと俺を見上げる。 「私も頑張るから、太刀川も頑張れ」 それは最終チェックの話なのか、それとも恋愛の話なのか。俺は適当に言葉を返すにとどまった。 作戦室に戻ると、任務を終えた俺たちを出迎えるように、意外な客人が顔を出した。 「あれ、迅さん」 先に声を上げたのは出水だった。迅が軽く片手を挙げて応える。 「2人ともお疲れー」 「迅がここまで来るなんて嫌な予感しかしねえんだけど」 本部に来ることさえそう多くないのに、わざわざ何の連絡もなしに作戦室を訪ねてくることなんて滅多にない。むしろ初めてではないだろうか。怪しむ俺をよそに、出水が迅に座るよう促す。そのままソファに腰掛けた迅は、いつもの読めない笑みを浮かべていた。 「何だよ、ヘビーな話題なら勘弁だぞ」 俺も迅の隣に腰を下ろした。男が2人座るとソファに余裕はなくなる。出水は気を利かせたのか、さりげなく国近を誘って部屋から出て行った。ただの高校生だというのによく出来た部下である。 「お疲れのとこ悪いんだけど、ちょっと相談があってさ」 「相談?お前が?」 「うん。さんのことなんだけど」 言いづらそうにすることもなく、迅はあっさりと話題の人物の名を口にした。さっきまで一緒に任務にあたっていただけに、俺の眉間にはシワが寄る。 「太刀川さん、最近さんと喋った?」 「喋ったも何も、さっきまで任務で一緒だったぞ」 俺の反応を見て、迅は何かを悟ったらしかった。すっとその青い瞳が温度を変えたのが分かる。それで、何となく妙な予感はした。さっきまで俺とが交わしていたようなくだらない話ではなさそうだ。 迅は瞳の温度を冷やしたまま少し黙った。たとえ何かに迷っていてもそれを表に出すような奴ではないから、俺はそれも迅の考えの内なのだろうと思った。しかし迅は俺の予想に反して、ややあってから、「読み間違えたかな」と呟いた。 「おれ、さんはもう太刀川さんには相談してるものだと思ってた」 「・・・何をだよ?」 「いや・・・、まあ、ここまできたから話すけど、結論としては、おれ今日さんちに行くんだよね」 嫌そうな言い方ではなかったが歯切れは悪かった。そういえば、迅はこの間もに誘われていた。そしてそれを俺の目の前で断って、結局俺がとラーメンを食べることになったのだ。ということは今日は、にとってはリベンジで、迅にとっては埋め合わせということなのか。 「へえ、今日はちゃんと行くのか」 「まあね。でも別に下心があるわけじゃないから」 迅にはないかもしれないがにはあるだろう。2回も家に呼ぼうとするなんて、の好きな奴というのは、迅のことなのだろうか。振られるに決まっているのに馬鹿馬鹿しい。 「迅、お前、もしに好きだって言われたらどうすんだよ。お前がどういうつもりでも、家に行っちまったら逃げようがないぞ」 俺と違って、迅は多分、女と2人で何もせずにベッドで一晩眠れるタイプだ。“据え膳食わねば男の恥”という言葉を盾に身勝手なことはしない。だから平気での家にも行けるのだろうが、残念ながらは俺タイプだ。 俺がはっきり言ったからか、迅は少し驚いていた。しかしさっきまでの僅かな戸惑いは消え、いつもの笑みを浮かべて言った。 「そりゃ好きだって言ってもらえるんならめちゃくちゃありがたいよ」 「・・・は?そうなのか?有りなのか?」 「有りでしょ、余裕で」 今度は俺が驚く番だ。迅は面食いだし基本的に女好きだが、みたいなタイプは相手にしないと勝手に思っていた。現にこの間は誘いをあっさり断っていたわけだし。しかしこうなると、本当にこの2人が付き合う可能性が出てくる。別に好きにしてくれればいいのだが、何か落ち着かない。迅は黙って俺の逡巡を待っていたようだが、「ちょっと話ずれてきたんだけど」と言って笑った。 「確かに今日さんちには行くけど、そういうのじゃないよ。さん、ちょっと困ってるらしくてさ。太刀川さん本当に聞いてないんだ」 頷くと、迅はちらりと俺を見て、すぐに目線を自身の手元に移した。言うか言わまいかを迷っているようにも見えた。 「さん、・・・ストーカーっぽいことされてるらしいんだよね」 「・・・はあ?誰に」 思わず低い声が出た。寝耳に水だ。 「前の彼氏らしいよ。たまにマンションの近くに突っ立ってるんだって。それで、声かけてくるんじゃなくて、そこでずっと見てるんだって、さんが部屋に入るまで」 想像すると寒気がした。前の彼氏というと、おそらくあのバンドマンの男だ。がだんだん連絡を取らなくなって結果的に振られたはずの。 「まだそれくらいのことしかされてないし、乱暴なことするような男じゃなかったから大丈夫だって言ってたけど、気持ち悪いし心配でしょ?だからちょっと様子見に行ってみようかなと思ってさ」 今日はが招いたわけではなかったのか。俺はさっきまでのくだらない自分の推測が情けなくなった。ヘビーな話題なら勘弁しろと言ったのに、割と胃にくる話題だ。まあ、俺なんかよりの方がずっと胃は痛いのだろうが。 「で、お前がわざわざ見に行くほどってことは、何か視えたってことか」 迅は小さく頷いた。 「おれ、今週末から三門市を離れる予定なんだ。多分さん、太刀川さんにも言ってないってことは、まだおれ以外誰にも言ってないと思うんだよ。そうなるとちょっとやばくなりそうだから、念の為おれから太刀川さんに伝えたんだけど」 つまり、迅がいない間は俺が気を配れということだ。「了解」と答えると、迅が少し安心したように眉尻を下げた。わざわざ家に行くほど気にかけるなんて、よほど悪い未来が視えたのだろうか。不確定なことは口にしないだろうから、俺もそれ以上は聞かないが。 「まあ、今日おれが行ってみて、上手く撃退できればいいんだけどね」 立ち上がって伸びをする迅を見上げながら、最近のの様子を思い返してみる。いつもと変わらないようにも見えたし、どこか不機嫌そうにも見えた。ストーカーとやらは気の毒な話だし、確かに心配ではある。しかし現金な俺は、これで迅とが付き合うことになったりするのだろうかと、片隅で陳腐な想像をしていた。 その夜、何となく落ち着かない気分でベッドに寝転がっていた。さっき缶ビールを数本空けたのに、眠気はなかなかやって来ない。もうすぐ23時になろうとしているが、迅はもう帰っただろうか。迅が自分から泊まっていくなんてことは言わないだろうけど、が何かテクニックを使って引き止めているかもしれない。それとも、ストーカー騒動で、自身もそれどころじゃなかったりするのか。何にせよ、すっきりしない気分だった。 体を起こして、テーブルの上に放っていたスマートフォンに手を伸ばす。使い慣れたメッセージアプリから、の名前を探し出した。 『何で俺に言わなかったんだよ』 勢いのまま送信し、またベッドに戻る。自分がどうしてこんなに苛々しているのか。それは、深く考えずに送ったさっきのメッセージが全てなのだと、目を閉じてようやく気付く。俺は、のことなら何でも分かっているはずだった。しかしそうではなかったのだと、そうではなくなったのだと、思い知らされたようで。 からの返信はまだない。元々マメな方ではないからすぐに連絡がくるとは思っていなかったが、今頃迅と一緒にいるのかと思うと、やっぱりなぜかすっきりしなかった。 |