8. 目 隠 し を し た ま ま 遠征の成果はまずまずだった。というのは、俺の所感ではなく、風間さんと城戸司令の出した結論だった。手応えとしては悪くなかったと思うが、重要なのは実際の結果である。遠征チームの隊長としては反省すべきだろう。 「気にすることはない。前回の成果が良すぎただけだ」 俺は何も口に出していないのに、風間さんは前を向いたままそう言った。静かな廊下には二人分の靴音が無造作に響いている。俺にとって、遠征はボーダーに所属する最大の理由だ。かといって遊びのつもりはないので、求められる結果も残したいと思っている。別にあえて口にすることはないのだが、風間さんにはその気持ちが少なからず伝わっているらしい。 「別に俺は気にしてないよ。成果が0だったわけじゃない」 「ああ、そうだな」 廊下の角を曲がると、非番の隊員たちで賑わうラウンジが見えてくる。そこに、よく知る女の姿を認めた。ほぼ同時に女の方も俺たちに気付いたようで、すっと立ち上がるとこちらに歩いてくる。 「今帰ってきたところ?二人ともお疲れ様でした」 大げさに振舞うでもなく、ごく自然な笑みを浮かべて、は風間さんに対して頭を下げた。 「風間さん、太刀川が迷惑かけなかったですか?」 「いつものことだ。どれが迷惑でどれが迷惑でないかも分からん」 「あはは、風間さんも大変だ」 口元に手をやって楽しそうに笑う。俺は黙って頭を掻いた。 は誰もが振り返るような美女、というほどではないものの、ほとんどの人間が「キレイ」だと判断する女だと思う。それゆえに恋愛経験は平均を大きく上回っているのだが、それはあくまで数だけの話で、俺が遠征に行く少し前にも、バンドマンの男に振られている。見てくれがいいのは結構だが、そのどうしようもない恋愛体質は、自身を不幸にしている気がしなくもない。 「太刀川、これから暇?ご飯でも行かない?」 「あー・・・」 そう言われて、ポケットの中のスマートフォンの存在を思い出す。帰還してすぐに電源を入れたところ、あまりのメッセージの件数に、それ以上見るのをやめてしまった。大学の後輩でもある恋人に、暫く連絡が取れなくなることを伝え忘れていたのだ。きっとこの後すぐに謝罪の連絡をした方がいいのだろう。しかし。 「焼肉ならいいぞ」 「気が合うね、私も焼肉の気分だった。しかも寿寿苑より高いところの」 馴染みの焼肉店の名前を引き合いに出しては笑った。これからと高級焼肉店に行ったら、俺と恋人の関係は破局への道を辿る気がする。しかし、とにもかくにも腹が減っていた。背に腹は代えられない。俺たちは風間さんに短い挨拶をして、基地を後にした。 程良く焼けた肉をタレにくぐらせて、口に入れる。少し噛んだだけで口の中でとろける味わいは、さすが高級店の肉だ。俺は残っていたカルビを一気に網に乗せた。が嫌そうな顔をする。 「ちょっと、そんなに一気に焼かないでよ」 「うるせえな、腹減ってんだろ」 あっという間に焼き色のつく肉をぞんざいにの取り皿にも入れてやりながら、俺はまた次の肉を口に入れた。そして冷たいビールを流し込む。焼肉とビールというのはどうしてこうも人に満足感を与えるのだろうか。のビールは、相変わらず少しずつしか減っていないが。 「そういやお前、結婚式はどうだった?」 申し訳程度に焼かれていた野菜をに与え、俺は肉だけを選び取る。はそのことに気付いているのかいないのか、文句を言わずに玉ねぎを食べた。 「うん、すっごく感動したよ。太刀川のプレゼントも渡しといた」 「おお、サンキュ」 「お茶碗、喜んでくれてたよ。迅くんが『陶芸でも1位になれるんじゃない』ってさ」 出来上がった夫婦茶碗はに受け取りに行かせたので、俺は現物を見ていない。しかし迅がそう言うのであれば、なかなかの出来栄えだったのだろう。手先は不器用な方ではないと思うが、意外な才能発覚だ。 が一旦箸を置いてスマートフォンを取り出す。手馴れたように操作して俺に見せてきたのは、結婚式の写真だった。新郎新婦を囲むようにして集まっているボーダー隊員たちの中に、と迅が並んでいるのを見つけた。二人とも普段とは違う格好をしていて様になっている。考えたこともなかったが、こうして並んで笑っているのを見ると、男と女としてなかなかお似合いだ。 「・・・お前さ、あのバンドマンの奴とは何で別れたんだよ?」 「えっ!?」 俺の質問が唐突だったのか、は目を丸くした。気まずそうにスマートフォンを引っ込め、バッグにしまう。 「もう・・・急に何なの。振られたんだよ。もう終わったんだし放っといてよ」 「へえ。まあ、美人は三日で飽きるって言うしな。飽きられたか」 「・・・どうでしょうね」 はヤケになったように勢いよく肉を口に放り込んだ。 俺はそれ以上追究するのをやめたが、実のところはさして追究せずとも、何となく分かっていた。おそらく、今までに何度もあったような別れ方だったのだろう。嫌いになったわけじゃないが、これ以上好きでいられそうでもない。大きなトラブルがあったわけではないから、その終わり方といったら静かなものだったはずだ。意外と言っては申し訳ないが、は恋愛体質の割に、浮気などはしない。どちらかといえば浮気をされやすい方かもしれない、とは思う。本人に言ったら恐ろしく冷たい目を向けられそうなので声にはしないが。 「・・・あ、ていうか太刀川、今日私なんかとご飯食べててよかったの?」 今更な問いかけだ。こいつにはこういうところがある。 「どうだろうなー。俺もお前に続いて振られるかもな」 もしかしたらあの多数の未読メッセージの中に、既に別れの言葉が入っているかもしれない。そう考えるとますます見る気が失せる。このままフェードアウトしてしまったほうが、もしかしたら楽かもしれない。 「まあ、俺のことはいいよ。それよりお前、新しい男いるのか?」 「ええ?いないけど」 「なら、迅はどうだ?さっきの写真見たら、お前らお似合いじゃん」 半分冗談、半分本気で言ったのだが、は困ったように眉尻を下げた。なんだ、まんざらでもないのか?もしくは既に何かあったか。なぜか胸の奥がざわついた。 「・・・迅くんは、そういう感じじゃないでしょ。いい子だけど」 「ふーん。まあ、迅にお前はちょっと扱えないかもな」 は確かに美人で明るいが、気も強いし、我儘だし、笑っていても簡単には人に従わない頑固なところもある。要するに、いい奴なのだが手に余る。は以前、俺のことを『交差点のようだ』と評したが、俺からすればも同じだ。むしろ、交差点のど真ん中に、そうとは分からないよう落とし穴が拵えられている感じ。俺よりタチが悪い。 「・・・迅くんに言われたんだよね」 ぽつりとが呟く。ぬるくなっているであろうビールはまだ半分ほど残っている。 「太刀川と私との間には入り込めない、って」 「・・・はあ?」 「ボーダーの人たちは皆そう思ってるって。私たち、そんな風に見えるんだって」 俺は困ってしまって、網の上の肉を箸でつついた。 確かに俺たちは高校に入る前からの付き合いがあるし、ただの友人というには気が引ける部分もある。でも、あくまで友人でしかない。俺はのこれまでの恋愛のほぼ全てを知っているし、の情けない部分も駄目な部分もよく理解しているつもりだ。そしてそれは、も同じ。 「・・・でも私、太刀川とだけは、そういう関係になれない。なりたくない」 ここで放り込まれる爆弾。肩の力が抜ける。 「何で俺がお前に振られなきゃならねえんだよ・・・」 そう言うと、はわざとらしく笑って、ビールを口に運んだ。時間の経ったぬるいビールなど、美味くも何ともないだろうに。 高校2年のとき、俺たちは一度だけ寝たことがある。上手いとか下手とかも分からないまま、ただ触れ合った。何もかもが未熟だった。は泣いていた。あれから年月は経ったが、俺たちの関係はそのセックスを境にしても何も変わることがない。ただ、あの日のことを口に出したことは、俺もも、一度もない。 |