7. 白 に 染 め あ げ て



結婚式は、数日ぶりの秋晴れだった。
笑顔が溢れる場所で、私はずっと涙をこらえていた。美しいウェディングドレスも、新郎新婦の穏やかな表情も、響き渡る祝福も、全てが尊い。白百合のような新婦が、目元を涙で光らせている。私もありったけの「おめでとう」を言いたいのに、胸がいっぱいで、大きい声が出ない。チャペルから退場していく二人にフラワーシャワーをかけると、私に気付いた彼らがにっこりと微笑んでくれた。あまりにも幸福そうなその笑顔が、また涙腺を緩ませる。私はひたすら頷きながら、彼らの背中を見送った。

感動しっぱなしだった挙式と披露宴の後、私はお誘いに甘えて、二次会にも参加していた。カフェを貸し切っての立食パーティー。式には呼ばれていなかったボーダーの隊員たちも、何人か顔を出している。そこにダークグレーのスーツ姿の後輩を見つけ、私は声をかけた。
「迅くん」
振り返った彼は、片手にオレンジジュースのグラスを持っていた。スーツのせいでいつになく大人っぽく見えるけれど、彼はまだ未成年なのである。
「迅くんも誘われてたんだね。1人?」
「うん、そう。太刀川さんは遠征中だし」
そう言う迅くんはどこか落ち着かない様子だった。
「おれ、結婚式の二次会って初めて。何か手持ち無沙汰だな」
「あはは、お酒も飲めないしね。でもスーツはよく似合ってるよ」
さんも、今日は特にいい感じ」
写メ撮っとこうか?と手でカメラの形を作る迅くんをいなし、冷たい白ワインを呷る。披露宴のときから飲み続けていたので、私は心の底からいい気分だった。アルコールなど無くても充分に酔ってしまいそうなのに。店の奥に誂えられた小さなステージの上では、新郎新婦が友人たちと写真を撮っている。そこにいる全員が、とても自然な、幸せそうな笑顔だ。
さん、その袋、何?」
迅くんが私の手荷物に目をやって言った。
「ああ、これね。太刀川から、結婚祝いのプレゼント」
「へー、気の利いたことするね。渡しに行く?ついでに写真撮ろう」
心地よい重みの袋の持ち手を握り締めた。中に入っている夫婦茶碗には、メッセージカードは添えられていない。しかし、ありったけの太刀川の気持ちが込められている。

ふたりの元に近付くと、花嫁がぱっと顔を明るくしてくれた。私もしっかりと笑ってみせる。
「改めて、おめでとうございます。もう、本当に綺麗。ずっと泣きそう」
「やだー、こちらこそ本当に今日はありがとう。も可愛い。似合ってる」
彼女は私のドレスワンピースを指して言った。私は首を横に振り、写真を撮るためぴったりと肩を寄せる。ほんのりと良い匂いがして、なぜかまた泣きそうになった。
「こうやってと写真を撮るのに、一緒にいるのが慶じゃなくて迅くんなのって、何だか新鮮ね」
カメラの方を向いたまま、彼女は小声で言った。私も内心そう思っていた。迅くんに聞こえたら少しかわいそうなので、口には出さないけれど。
数枚の写真を撮り終えて、私は持っていた紙袋を手渡した。
「これ、太刀川からです。今日は来られなくてすみませんって言ってました」
「わ、ありがとう。こっちこそ気を遣わせちゃったね」
そう言いながら包みが開かれる。ゆっくりと取り出された2つの茶碗は、予想以上に整ったなめらかなシルエット。白くて、きれいで、今日の2人にぴったりだった。
「夫婦茶碗ね。素敵」
「それ、太刀川が、自分で作ったんですよ」
「えっ!?」
新郎と新婦は顔を見合わせて、それから改めて茶碗をまじまじと見つめた。
「すごい、上手。本当に嬉しい」
「お店にも見に行ったんですけど、気に入るものが無いって言って」
私が作ったわけでもないのに、サプライズが成功したような達成感が湧き上がってくる。彼女の目には、また薄らと涙が光っていた。彼女にとって太刀川は手のかかる弟のような存在だから、こんなに心のこもったものを贈られれば、涙が出るのも自然なことなのかもしれない。
「慶にはちゃんと新婚旅行のお土産買ってこないとね。あ、には、私から今日渡したいものがあるの」
彼女はそう言うと、小さなブーケを私にくれた。プリザーブド加工のされた白い薔薇。持ち手には水色のリボンが飾られている。
「ブーケトスで受け取ってくれるのがベストだったんだけど、そう上手くもいかないでしょ?だから絶対ににブーケが渡るように、最初から用意してたの」
結婚式で花嫁から貰うブーケの意味は、もちろん知っている。実際は彼氏とも別れたばかりだし、結婚なんてまだまだ先のことだろうけれど、『次に幸せになるのはあなた』という無言のメッセージに、感動しないわけがない。目の前の美しい花嫁が、私に対してそう思ってくれているということが、何より嬉しかった。
「慶が帰ってきたら、二人で新居に遊びに来て」
私は大きく頷いた。今は遠くの世界にいる太刀川も、この瞬間、同じようにこんなふうに満ち足りた気持ちであればいいのにと思う。もしもそんな幸福のない過酷な時間の中にいるのであれば、早く帰ってくればいい。白い夫婦茶碗は、二次会が終わるまでずっと、メインテーブルに誇らしげに並べられていた。

さほど酔っ払ってはいなかったが、「さんは素面でも危なっかしいから」と、帰りは迅くんが家まで送ってくれた。式で貰った引き出物の袋もさりげなく持ってくれていて、本当に優しい子だと感心する。迅くんが彼氏だったら、さぞ幸せな毎日を送れるだろう。
「あー、本当にいい1日だった。私も結婚したくなっちゃった」
「へえ、意外だな。おれ、さんは結婚には興味ないと思ってた」
「そりゃ興味はあるよ。・・・縁はないかもしれないけど」
そう言って笑うと、迅くんも声を出して笑ってくれた。迅くんはお酒を飲んでいないけれど、やはり普段より機嫌が良さそうだ。
「迅くんは結婚願望あるの?今、彼女いるんだっけ?」
「んー、結婚は正直まだよく分からないかな。彼女もいないし」
こんなに優しくて人間の出来た男の子なのに、彼女がいないなんて信じられない。でも確かに、迅くんが恋愛に入れ込む姿も想像がつかない。どんな女の子なら、迅くんの恋人になれるのだろうか。
「迅くんの彼女って、すごく幸せだろうね」
思ったことをそのまま口にすると、迅くんがきょとんと目を丸くした。
「迅くん、かっこいいし、優しいし。彼女のことすごく大事にしそうじゃない」
「はは、どうしたの。やっぱり酔っ払ってるね」
正面から吹く夜風が気持ちいい。車の往来をなんとなく眺めながら歩いていると、迅くんがぽつりと呟いた。
さんも、本当に好きになった人のことは、すごく大事にすると思うよ」
それは悪意のない言葉だったのだろうが、心に引っかかるものがあった。本当に好きになった人。迅くんは私の恋愛事情をよく知っている。迅くんの記憶の中に、私が本当に好きになった人というものは、存在しているだろうか。
「・・・迅くんも私のこと、『恋多き女』だって思ってる?」
迅くんはやわらかい眼差しでこちらを見た。
「まあ、さんは美人だからね。太刀川さんがいなかったら、おれもさんにコロッといってたかもしれないな」
「・・・何でそこに太刀川が出てくるの」
本当に驚いてそう言うと、迅くんも驚いたように言った。
「だって、2人の間にはさすがに入り込めないよ。ボーダーの奴らは皆そう思ってる」
実際、私も太刀川も、ボーダーの隊員と恋愛関係になったことは一度もなかった。それは何かを意識していたわけではなく、単純にそういうきっかけが無かったからだと思っていたけれど。
「それより、太刀川さんの茶碗、本当に上手かったね。あの人、陶芸でも1位になれるんじゃない」
神妙な顔をしていたのだろうか。迅くんが私を笑わせようと、明るく言った。その言葉がぱらぱらと分かれて、風に乗って私をすり抜けていく。次に恋をするなら迅くんみたいに優しい人がいい。手に持ったままのブーケだって、迅くんとの恋愛ならば、きっと応援してくれることだろう。だけど迅くんは私みたいな女は好きにならない。切ない気もするが、それは何となく分かってしまう。
「太刀川さん、早く帰ってくるといいね」
迅くんの声が優しいから困る。私は曖昧に笑って、頷いた。