久し振りなどという言葉では足りんほど久し振りに、の体を抱き締めた。柔らかい髪も甘いにおいも感じる温度も、それは間違いなく百年前の。何も変わってへんな、と言いかけて、ふと留まる。抱き締めた体は、少し痩せていた。 花 葬 … story 9 腕の中でがちょっと身じろいだから、俺はその腕を解く。表情を窺い見るとその目は僅かに充血していて、黒い瞳が揺れとった。髪は伸びたけど、賢そうな顔はあの頃のまま。 「…しんじ」 長い時間抱き締めとったのに、それでもまだ自信なさげに名前を呼ぶのが愛しくて、俺はもう1度その体を抱き寄せた。背中に回された小さな手が、俺のシャツを掴む。 「なァ、」 「ん…?」 「お前ちょっと太ったんとちゃうか」 抱き締めたままでそう言うと、は一瞬固まって、それから勢いよく俺から離れた。口をぱくぱくさせて、顔をほんのりと赤くさせている。そこまで反応せんでもええやろ。そうは思うものの、相変わらずやなぁ、と愛しくも思う。 「うそ、太った?」 「…ちょっとな」 「現世のお菓子って美味しいからなぁ、食べすぎたかな…」 ほんまに悲惨なことを語るような口調で、やたら深刻な顔をしては言った。実際には太ったどころか痩せたと思うんやけど、がそう言うならほんまに太ったんやろか。何せ俺も最後にに触れたんは百年以上前のことやから、何もかもを正確に覚えているかというと、そうではないかもしれへん。けど抱き締めた感じが、やっぱりこう、もうちょっと柔らかかった気がすんねんなァ。 「ダイエットしなきゃね」 「言うといて何やけど、気にする程でも無いで。体重は量ってへんのか?」 「うん、だって喜助くんの家に体重計無いし、」 そこまで言ったが、息を呑むように口を噤んだ。俺も思わず目を見開いてしまう。2人の間に何ともいえん沈黙が流れて、晩夏の湿った風だけが、ざわざわと音を立てた。喜助くん。その呼び方があまりに新鮮で、一瞬誰のことを言うてるんか分からんかったほど。昔は、浦原隊長、て呼んどったのに。 俺、わかりやすい顔したんやろか。は俺を見て、ひどく後ろめたそうな顔しとる。そんな顔させたかったわけや無いのにな。感情を隠すんは得意な筈やのに、何で表れたらアカン感情が出てしもたんやろう。の前に立つと、頭と体が別々になる。それは百年前と同じらしい。 「…体重計ぐらい買ったらええやんか」 やっと出てきた台詞はそれやった。の頬が少しだけ緩む。照れるようにはにかんで、それから躊躇いがちに、小さな声で言った。 「そうだね」 その短い言葉に、も俺も、どうしようもないほど時の流れを感じたと思う。 が現世に来たことを俺に知らせたんは、他の誰でもない喜助やった。互いに連絡を取らんようになって数年が過ぎとったから、いつものへらへらした調子で、話があるんス、なんて突然やって来た時には正直驚いた。牙を剥くひよ里を部屋の中に押し留めて2人で外に出ると、喜助は目深に被った帽子をゆっくり外して、俺に頭を下げた。何事かと思った。 「サンのこと、覚えてます?」 不意に登場したその名前に息が詰まりそうになったんを、今でも覚えとる。それ位、の名前はあの頃の俺にとって強烈な力を持っとった。喜助は俺の答えを待つ間もずっと頭を下げたまま。 「…まァ…覚えとるけど…、急にどないしてん」 「単刀直入に言います。サンは今、この町にいます」 単刀直入すぎるやろ、と思った。喜助はゆっくり顔を上げると、真面目な目で俺を見たまま、表情1つ変えへんかった。それはつまり、喜助の台詞は嘘でも冗談でもないっちゅうことで、俺は答えに困ってしまう。何であいつがこの町におるんや。それは任務の上でなんか、それとも何か理由があるんか。分からんことが多すぎて何から聞いていいか分からんかった。そんな俺の思考を読んだんやろう、喜助が眉をハの字にして笑った。 「珍しいッスね、平子サンが言葉を失うなんて」 「…しゃあないやろ」 「ま、そッスよねェ…」 ふむ、と喜助は頷いてから、長くなりますけどいいッスか?と断りを入れて、が現世に来た経緯を話し始めた。それは俺の想像を超える悲惨な話やったし、現世に来たからいうて喜助と一緒に住むっちゅうのも、想像を超える話やった。何でお前らが一緒に住むんや。喉まで出かかった台詞も、次に放たれる喜助の言葉の前では、飲み込まざるを得んかった。 「ボクなら彼女を救える。彼女を死神に戻すことだってできるかもしれません」 今になって思えば、それは喜助のハッタリやったんかもしれん。の霊力は0に近いて言うてたし、そもそも死神に戻ったって尸魂界へ行けば投獄やろうし。けどその台詞は、決して俺には言われへん台詞。だから俺は、言葉を飲み込んで、感情の全てを体の奥に閉じ込めて、たった一言、そうやな、と答えた。会わせてくれとは、とてもやないけど、言えんかった。 「…真子は全然変わんないね」 不意にが口を開いた。俺は昔のことを思い出してぼんやりしとったから、少し反応が遅れてしまう。 「…え、何て?」 「もー、ちゃんと聞いててよ。真子は全然変わんないね、って言ったの」 は肩を竦めて笑っとる。その楽しそうな笑顔を見ると、もう一度抱き締めたくなる。そうしたらそのまま、離したくなくなるやろう。なァ、何も変わってへんのは、俺だけやない。、お前も何も変わってへんで。これだけ長い時間が経ったのに、何でお前はお前のままなんや。お前を置いてった俺のこと、何で恨んでくれてへんねん。俺の顔なんざ2度と見たァない、って、言うてくれればよかったのに。長い間ほったらかしで、突然やって来た俺のことなんざ、さっさと追い払ってくれたらよかったのに。喜助がおるから、って、言うてくれれば、よかったのに。何でお前はそんな笑顔で、俺を受け入れてくれるんや。 「…真子?」 ふと目線を上げれば、が一歩距離を詰めて、俺の頬に手を伸ばそうとするところやった。何も言えずにいると、そのまま小さな手が頬に添えられる。じんわりと温かな手のひら。 「どうかした?」 そう言ってゆっくり首を傾げるその姿は、俺の持つ言葉の全てを一瞬で奪う。何かを言いたいのに、言わなあかんのに、言われへん。何をどう言えば、今の俺の気持ちを分かってもらえるんや。喉を塞ぐような、こんな強烈な気持ちを表せる言葉が、果たしてこの世にどれだけあるっていうんや。 俺は頬に添えられた手に自分の手を重ねて、そのまま握り締めた。触ってみれば思ったよりもずっと小さい。毎日刀を握っていた百年前より、幾分か柔らかく華奢になったその手。外面的なことは、確かに百年前とは少し違っとる。でも肝要なことは、何1つ、変わってへん。 「…」 「うん?」 「俺やっぱり、お前が好きや」 今お前が誰と住んでいようと、誰を愛していようと、誰に愛されていようと。そんなものを気にする余裕はない。たとえお前が俺のものにならんとしても、どうしても言わなあかんことが、俺にはある。 「、俺んとこに来い」 今のの状況とか気持ちとか、そんなものを考えるより先に、言葉が滑り出た。その言葉がにとってどれだけの重みを持つか、分からへんわけではないのに。でも、もう俺にはそれしか言うことがなかった。 |