サンと初めて顔を合わせたのは、二番隊の新入隊員を紹介する朝礼でのことだった。ボクは三席として朝礼に出席していて、夜一さんが新入隊員の名前を1人ずつ呼び上げるのを、眠いなァとか面倒だなァとか早く終わらないかなァとか、そんなことを考えながら聞いていた、気がする。





花 葬  … story 8






入隊当初のサンは、体が小柄なことも手伝って、まだ学生のような出で立ちだった。女というよりは女の子という感じ。比較的早く真央霊術院を卒業した優秀な人材だと聞いていたが、彼女はあまり昇格や昇給等に興味が無いようで、日々の仕事を淡々とこなすタイプの人だった。可もなく不可もない、言ってしまえば、どこにでもいる死神。だからボクも、彼女に特別な興味を持つなんてことはなかった。そして彼女も、ボクに全く興味がなさそうだった。業務上のことでしか口を利かない間柄。しかしそれでも何ら支障の無い距離に、ボク達はいた。





サァン、夜一さんがお呼びですよン」


ある日、執務室にいた彼女を訪ねると、彼女はまさに書類処理の真っ最中だった。普段は下ろしている長い髪を後ろで1つに束ねている。髪型を変えるだけで女の人は随分印象が変わるもんだな、と思った。


「仕事のお話らしいんで、隊首室に来いとのことッス」


ボクが言うと彼女は手早く筆を置いて立ち上がった。髪を束ねているせいで露わになっている白い首が、とても細かった。


「畏まりました。わざわざありがとうございます、浦原三席」
「とんでもない」
「では失礼いたします」
「それより、ボクのこと『浦原三席』なんて呼ぶの、アナタぐらいッスよ?」


用件のみで会話を済ませるのも何だかなぁ、と思ってボクは軽くそう口にしたのだが、彼女があからさまに困惑の表情を浮かべたので、途端に申し訳なくなってしまった。彼女は暫く考えるように俯いたかと思うと、ゆっくり顔を上げて、ぎこちなく微笑んだ。


「…他の皆さんは、何とお呼びしているんですか?」
「そッスねェ…喜助とか喜助さんとか、浦原とか、浦原さんとか。適当に」
「…それでは、浦原さん、とお呼びさせて頂いてもよろしいですか?」


彼女の選んだ呼び方は、候補の中で一番他人行儀なものだった。そうだろうなぁとは思っていたが、どうやら想像していた以上に嫌われているらしかった。どうしても少し落胆したが、ボクはそれが悟られないよう、にこりと笑ってみせた。


「勿論ッス」
「はい、以後そのように。それでは、隊長の元へ参りますので」


自分は比較的どんな人とでも表面上は上手く付き合えると自負していただけに、彼女のその距離の取り方は腑に落ちなかった。そしてそれが、ボクが彼女に興味を持つきっかけになった。というのは、どんな女なんだろう?部下としてでなく、女として、単純に気になった。





それから数年、ボクは十二番隊隊長に昇格した。そこで何かと世話になるようになったのが、平子サン。決して偉ぶることは無いものの、その言動にはいつも頭の良さが見え隠れする平子サンのことを、ボクは気に入っていた。ボクたちは互いの性格上、必要以上に詮索しあうことは無かったが、完全に放っておくわけでもなかった。それは心地のいい関係だった。


そんな平子サンに恋人がいると聞いたのは、親しくなってずいぶん経ってからのこと。酒を飲んで女の人の話になってもそんなことは一言も言っていなかったので、驚きを越えてボクは少しばかりショックだった。しかもその恋人というのが、少し前までボクの部下だったサン。知っている女の子なのだから、話してくれれば楽しい酒の肴にもなるだろうに、平子サンはなぜか全く話したがらなかった。


「なーんで隠してたんッスか?ボクが面白半分に吹聴するとでも思いました?」
「やー、別に隠しとったわけやないねんけどなァ」


半分冗談、半分本気でそう問い詰めたボクに、平子さんは後ろ頭を掻きながら困った顔をした。口の上手い平子サンには珍しく、じっくり言葉を選んでいるようだった。らしくない反応が何となく気に入らなかった。


「じゃあ何でっスか?」
「上手いことよう言われへんけど…まァ、しょうもない独占欲っちゅうやつや」


ふいと視線を逸らしてそう言った平子サンを見て、ああこの人は本当に彼女のことが好きなんだな、と思った。だからそれきり何も聞けなくて、冗談めかして「お幸せに」と言って、その話を終えた。が、平子サンをそこまで魅了する彼女の存在が、更に気になるようになってしまったのも事実。例の事件があってボク達が尸魂界を去ることになったのは、それから数ヶ月が経った頃だった。




現世での生活は辛いことが多かった。それは物質的な面でなく、精神的な面で。それは平子サン達、仮面の軍勢の人たちも同じだったようだ。現世に来た当初は互いに用があって連絡を取り合ってはいたが、事態の重大さが自分達の想像を超えていたことに気付くと、ボクたちは少なからず絶望し、次第に連絡も取らなくなった。


そんな日々の中でボクのところにやって来たのがサンだった。


「…四楓院隊長に言われて、来ました…」


そう言った彼女は、見るに耐えない位ぼろぼろだった。死神としての力を失って現世にやって来た彼女の目には、絶望しか映っていなかった。そりゃあそうだろう、彼女もボクたちと同様、望んで現世に来たわけではなかったのだから。


ある虚討伐の任務に赴いたことがきっかけで、彼女は全霊力を失うことになったのだった。
その虚は事前に聞かされていた情報と大きく異なっていて、強さも能力も、彼女の想定を遥かに超えていた。その時、彼女は入ったばかりの新人と一緒だった。まず先にやられたのは新人の方。そこに虚が止めを刺すのを何とか食い止めようとしたのだが、彼女は斬魄刀を虚によって振り払われてしまう。このままでは新人共々やられる。そう思った彼女の頭に咄嗟に浮かんだのは、いつか古い書物で見かけた、鬼道の禁術だった。


その鬼道はあまりの強烈さゆえに、随分昔に使用を禁止されたもの。彼女もその威力はよく分かっていなかったが、目の前の事態を何とか解決するには、その『強烈過ぎる』術に頼るしかなかったのだ。記憶の片隅にあったその鬼道を詠唱すると、彼女の手からは、見たことも無いような色をした閃光が放たれて、目の前にいた虚は消失した。ほっとしたのも束の間、彼女の体からは急激に力が抜け、意識が遠のいて、次に目を覚ました時には、既に禁術使用の罪で投獄が決定した後だった。


彼女の使った鬼道は、凄まじい破壊力を持つ代わりに、下手をすれば自分の命を失いかねないというものだった。運良く彼女は死ななかったけれども、全ての霊力を失った。一緒にいた新入隊員は彼女のおかげで助かった。任務を全うし自分達の命を守りきったのに、霊力を失った上に投獄。そんな彼女を憂患した夜一さんが、彼女を現世へ、ボクのところへと送ってくれたのだった。


「話は夜一さんから聞いてますから、大丈夫ッスよ」


肩を落とす彼女に、ボクは努めて明るい声で言ったが、俯き加減の彼女は表情を変えなかった。


「浦原隊長、私はもう、死神には戻れないんですか…?」


ぽつりと漏らしたその言葉を、ボクは少し哀れむ気持ちで肯定した。彼女にはもう、一般的な人間以下の霊力しか残っていなかったのだ。


ボクはやんわりと彼女の置かれている状況を説明した後、彼女を少しでも元気付けたくて、「不幸にはしません」と約束した。その時にボクを見上げた彼女の目が、今でも忘れられない。疑念と不安の入り混じった、怯えたようなあの目は、確かにボクの体の奥を凍りつかせた。もう二度とこんな顔はさせない。心のうちで、ボクは固く誓った。





あれから長い年月が過ぎた。泣いてばかりだった彼女もすっかり元気になった。『浦原三席』が『浦原さん』に変わったと思ったら次は『浦原隊長』になっていて、どうしようかなぁなどと思案しているうちに、いつの間にか彼女はボクを『喜助くん』と呼んでくれるようになった。ボクたちは共に暮らす内に恋人になり、それなりに、楽しい日々を過ごしていた。そう、確かにあの夏祭りの日までは。


平子サンが現世にいるということは、彼女も知っていた筈だった。それでも平子サンのことは何一つ口にしなかった。だからてっきり、ボクたちが現世に来る前には別れていたのだろうと思っていた。しかしある夜、彼女が泣きながら寝言で平子サンの名前を口にしたのを聞いてから、それはとんでもない間違いだったことに気が付いた。彼女は今でも、平子サンが好きなのだ。ボクと一緒に笑っていても、彼女が本当に好きで忘れられなくて、愛しているのは平子サン。物理的に会えないから、無理やり忘れようとしているだけで。だけどボクはそれを知っても、彼女と平子サンを会わせようとはしなかった。その頃にはボクも、本気で彼女を愛してしまっていたからだ。ボクはそこまでお人好しではない。





それでもこうして再会してしまうなんてなあ。
台所の壁にもたれて、ぼんやりとそう思う。目の前の調理台には、作りかけのハンバーグ。きっとボクが食べたいと言ったのを、彼女は覚えてくれていたのだろう。そうなのだ、彼女は確かに、ボクを愛してくれている。それは確かだと思う。しかしそれでも心の中には平子サンがいて、そしてそれも、間違いなく確かなのだ。


いつかこんな日が来るだろうと思っていたのに、いざ目の前にやって来てしまうと、何もいい答えが見つからなかった。それは多分、彼女も、平子サンも、同じこと。どうすべきなのだろう?そして、ボクはどうしたいのだろう。