どんな時も一緒やった。晴れの日も雨の日も、仕事の日も休みの日も、酔うた日も風邪ひいた日も、嬉しい日も悔しい日も、どんな時でもオレの傍にはあいつがおった。ほら、今も目を閉じれば、いつだってそこに、あいつは。





花 葬  … story 5






夕飯の材料を買いに行った筈のひよ里が何も持たんと帰ってきたんは、ひよ里が家を出て2時間も経った頃やった。いつもは帰宅するなりただいまァ!と叫び、部屋が一瞬で騒々しくなるのに、今日は何も言わんと扉を開け、どっか呆然としたような表情での帰宅。ほんま、分かりやすい奴やで。


「おっそいお帰りやのォひよ里、どないしてん。今日のメシ何や」


読んでいた漫画から顔を上げてそう問うと、ひよ里は妙に深刻そうな顔をオレの方に向けた。


「………今日はピザや。宅配ピザ」
「はァ?ピザてお前、スーパー行っとったんちゃうんかい」
「…急にそんな気分になったんや!晩飯食いたかったらどれにするか早よ決めや!」


ひよ里は急に声を荒げてそう言うと、どこからか宅配ピザのチラシを持ってきて、それを俺の顔に力いっぱい押し付けた。そしてそのまま自室に閉じこもってしまった。気性の荒さはもともとのことで慣れているが、今日のひよ里はいつもと少しばかり違う。何かが妙やった。絶対に何か隠しとる。オレはチラシを顔から剥がすと、後ろ頭をがりがりと掻いた。


オレは読んでいた漫画をそこに伏せ、部屋に籠もっているひよ里の元へ向かった。正直めんどくさい。けど、ほっとくわけにもいかん。ほっといたら、もっとめんどくさいことになるからな。それにひよ里の面倒見んのはオレやっちゅう周りの認識もあるし、オレ自身、そういう役目に諦めを感じているとこもある。


「オイひよ里ィ!お前がピザ食いたい言うたのに、お前が選ばんでええんかァ!?」


部屋のドア越しにそう声をかける。しかし返事は無い。めんどくさいという気持ちが一気に高まって、オレはポケットに両手を突っ込んだまま、足でドアを乱暴にノックした。


「聞こえとんのかボケ!返事せえへんかったらメシ抜きやぞコラ!」
「……………」
「オイまさか寝とんのか!?こんな短時間で寝られるてさすがアホやな!見習いたァても見習われへんわ!」
「やかましわハゲ真子ッ!!お前はアホに加えてハゲやないけ!!」


その声と同時に勢いよく部屋の扉が開かれ、オレは思いっきり顔面を扉にぶつけた。あまりの衝撃に、思わず足元がよろつく。扉を開けたのは勿論ひよ里で、わざとオレの顔にぶつけるつもりでそんな開け方をしたんやろう、ざまあみろ、とでも言いたげな顔をしとった。痛い目には遭うたが、とりあえず扉を開けさせることには成功や。


「ほんまにお前は…世話のかかるやっちゃのォ」


ぶつけた鼻を押さえたままオレが言うと、ひよ里はぴくりと片眉を上げて、不快感を露わにした。そしてまた勢いよく扉を閉めようとしたので、オレはそれを阻止すべく扉に手をかけ、その隙間に足を入れた。ひよ里はオレを睨みあげたまま扉を閉めようと更に力を込めるが、オレもそこは負けるわけにはいかん。木製の扉がギチギチと嫌な音を立てた。


「…離せやハゲ」
「お前オレに話すことあるやろが。それ聞くまでは閉めさせへんで」
「ハゲた奴に話なんざ無いわ。早よ離せ」
「…ならオレが話すけど、お前スーパーで2時間も何しとってん」


ひよ里の目つきが変わった。大きな両目にありありと浮かぶ迷いの色。こいつはめんどくさいし世話もかかるけど、こういう事は分かりやすいからええ。元来隠し事っちゅうのが何より苦手な奴なんや。こうやって聞いていけば、絶対にすぐ観念する。


ひよ里は口元をもごもごさせて黙っていたが、暫くすると扉を引く手の力を緩めた。そしてオレから視線を逸らし俯くと、小さな声で、河川敷や、と言った。河川敷。オレの頭にクエスチョンマークがぽこぽこと浮かぶ。


「お前、スーパー行かんと河川敷行っとったんか」
「スーパーにも行った。けど、…1時間45分位は河川敷におった」
「はあ、何でやねん。一体そこで何しとったんや」
「…空、見とった」
「……そらまた、えらい優雅やのォ」


溜息を吐きたいところやったけど、それはちょっと我慢して飲み込んだ。ここで溜息など吐いてひよ里を見下す態度を取ろうもんなら、間違いなく拳か蹴りが入る。扉でぶつけた鼻はまだ痛いんや、これ以上痛い目に遭うんはさすがにオレでも避けたい。


オレはひよ里の旋毛を見ながら考える。スーパーに行く前のひよ里は、いつも通りかそれ以上ってぐらいに元気やったしうるさかった。だから最初から、河川敷でのんびり空でも眺めよか、っちゅう気分やったわけでは無いと思う。てことは家を出てから何かがあったんや。一旦スーパーに行ったのにわざわざ河川敷まで足を運ぶいうことは、スーパーで何かがあったんやろか。でもスーパーで一体何があるんや。そこはさっぱり分からへん。


「……もう話終わったやろ?閉めるで」
「まァ待てや。話も終わってへん」
「何やねんしつこいなァ。まだ話あるんやったら3秒以内に言え。いくで、3、2、」
「その河川敷は誰と行ったんや?」


瞬間、目を見開いたひよ里が扉を勢いよく閉めようとした。オレもちょっと気を抜いてたから手を離してもうたけど、幸い扉の隙間に挟んでいた足が、完全に閉まることを阻んだ。扉がガン、と鈍い音を立てる。いつか壊れてまうんちゃうやろか。


「…足どかせ、真子」


そう言ったひよ里の霊圧が強まる。でもそれは強いだけでめちゃくちゃ不安定。自分自身で制御しきれてへん時の霊圧。何でこんなに動揺しとるんや。河川敷にいたってことを白状するまでは、案外簡単やったのに。何で急にここまで黙りたがるんや。


オレはひよ里の目を見た。ひよ里はすぐに視線を逸らす。いつでも挑戦的に人を見てくるくせに、珍しい位、心を閉ざした反応。そんなひよ里の反応を見て、オレは、1つの可能性が頭に浮かんだ。でもそれは、とてもやないけど、自分から言葉にはできんかった。


「…ひよ里、お前、…誰とおったんや」


そう言ったオレの声も、もしかしたら上ずっとったかもしれへん。頭に浮かんだ可能性は、浮かんだ瞬間からどんどん大きくなっていく。それに加えてひよ里のこの態度や。この可能性を否定するものが出てこん。おいおい、まさか、嘘やろ。早よハッキリ言え、ひよ里。頼むわ。


「………誰とおったか、そんなに聞きたいか」
「…せやから聞いとるんやろ。アホかお前は」
「アホはお前や、真子」


ひよ里はそう言うと、長い長い溜息を吐いた。そして扉から手を離すと、腰に両手を宛がい仁王立ちになった。いつものひよ里。けど今だけはその立ち姿が、強がってるようにしか見えんかった。よう聞いとけや、とひよ里が言う。オレは、だから早よ言わんかいな、と返したものの、確実に自分の鼓動が速くなるのを感じた。


「うちが一緒におったんはなァ、……」
「…何やねん、勿体ぶんなや」
「…………や」


覚えとるか?
ひよ里はそう付け足した後、何かを堪えるように唇を真一文字に結んだ。オレが頭の中に浮かべてた可能性は、1ミリも違うことなく肯定されたわけや。


全く予想がつかんかった答えやないのに、いざその名前を耳にしてしまうと、言葉の欠片も出てこんかった。そら、ひよ里が言いたがらへんわけや。帰ってきて速攻自分の部屋に入ったんも、それやったらちゃんと合点がいく。一緒におったんがあいつなんやったら、そら、そうなるわなァ。


「……何の言葉も出えへんのかい」


ひよ里がそう言って不敵に笑った。しかしその顔には明らかな戸惑い。オレは何も言えんかったけど、笑うことは出来た。というか、口元が勝手に緩んだ。それを見たひよ里が、訝しげにオレを睨んだ。



まさか忘れる筈も無い。たとえ他のこと全てを忘れても、この名前だけは。気が狂う程に愛した、あの女の名前だけは。何があっても、忘れるわけが、ないやんか。