ボクも同じようなこと考えてたんス。
その台詞と表情は、予想以上にうちの胸を締め付けた。そして同時に、うちの言動の全てを許してしまった。うちが浦原に言うたことは絶対的に間違うてた。だから、たとえ浦原に「それはおかしい」なんてことを言われたとしても、素直に認めて、大人しく帰るつもりやった。むしろそうして非難されることを、心のどっかで願ってた。それやのに。





花 葬  … story 13






浦原商店からの帰り道、暮れゆく街をぼうっと見渡しながら考える。結局うちの望んでることは何なんや。が浦原と別れて、真子とヨリ戻すことか?そんで真子が普段通りの真子になることか?と真子が笑い合うてるとこを、うちは見たいんか?そうやって1つ1つじっくり考えてもいまいちしっくりくるものは無く、どれも的外れな気さえした。でも浦原はきっとうちがそういうことを望んでるんやと思ったやろう。


結局のところうちは、自分の中にあるよう分からんモヤモヤしたもんを何とかしたいだけなんやと思う。でもその方法が分からんから、とりあえず浦原の家に直接押しかけるっちゅう衝動的な手段を選んでしもた。自分一人やとどうにも出来へん問題を浦原に分け与えて、更にその解決方法を、あいつらのややこしい恋愛関係の中に探し出そうとしてるだけ。


このモヤモヤの正体がわからへん。目にも見えへん、手でも触れへん、音も聞こえへん、そんなもんを相手にするんは、うちは苦手や。そうやって持て余したモヤモヤが、自分の意思を置き去りにして、人を傷つけようとする。今日うちが浦原に言うたことを、どっかでが盗み聞きしとったら、はきっと激怒したやろう。勝手なことを言うてくれるな、っちゅう無音の怒りを、あの丸い瞳に燃やしたやろう。


道の脇に転がっていたコーラの空き缶を意味なく蹴飛ばす。既に誰かに踏まれてひしゃげていた赤い空き缶は、静かな夕暮れの中に甲高い音を響かせて、そして間もなく落ち着いた。調子外れの間抜けな音やった。あわれやと思った。傾く夕陽も、すれ違う野良猫も、風に吹かれる細い木枝さえも、秋の手前のこの町では、全てがあわれや。







私が買い物から帰ると、喜助君は商店の在庫確認の最中だった。ずっと埃を被りっぱなしだった段ボールを開けて、何かの道具をチェックしている。喜助君は今までに何度か、何らかの事情で現世に留まらざるを得なくなった死神の手助けをしたことがあるらしい。じゃあ真子達も喜助君のお世話になったのかな。そう思ったけれど、私はそのときそう聞けなかった。理由は、今でもうまく言葉にできない。


夕食を作り終えても喜助君がまだ居間にやって来ないので、ひょこりと店の方を覗いてみた。日が沈んで暗くなってしまった店内、喜助君は明かりも点けずに、まだ段ボールの整理をしていた。僅かな残照が店の硝子戸から入り込んで、薄らかに喜助君の手元を照らしている。きっと喜助君は目の前のことに夢中になって、暗くなっていることにも気付いていないのだろう。


「喜助君、まだ忙しい?」


私はそう問いながら、店の明かりを点けてやった。パチン、という音と共に、蛍光灯が白い光を放つ。


「ご飯できたけど、後にする?」
「―あァ、もうそんな時間ッスか」


顔を上げた喜助君はのんびりした口調でそう言うと、店の時計を見やって頭を掻いた。一体どれくらいの時間ここで在庫整理をしていたのだろうか、足元には梱包された段ボールがいくつも置かれている。普段は面倒がって在庫品の確認なんてしないのに、どうして今日になってこんなに熱心に始めたのだろう。ふとそう思ったけれど、きっと深い意味は無いのだろうと勝手に納得してしまった。一体いつから、そんな小さなことを口にしなくなってしまったのかな。


喜助君は目の前の段ボール箱を手早く梱包してしまうと、両腕を頭上で組んでゆっくりと伸びをした。そして大きな欠伸を1つ。その何気ない仕草を、私は無言で見つめている。その視線に気付いたのか、喜助君がふいと私の方を見て柔らかに微笑んだ。


「ご飯食べまショ。結構長い時間やってたんで、お腹ぺこぺこっス」


そう言った喜助君は、いつもの喜助君と何ら変わらぬように見えた。





カレイの煮付け、ほうれん草のお浸し、葱と豆腐のお味噌汁。今日の献立は私達の生活において至って普通の、ありふれたものだった。強いて言うなら今日のカレイは魚屋のご主人が「おまけしとくよ」とのことで特別に大きいのだけれど、それだけのこと。ほうれん草は値上がりしたきりなかなか元に戻らないし、お味噌もいつも使っているのと同じだし、喜助君のお気に入りのお茶だって淹れたし、何も変わらないいつもの食卓。だけどどうしてこうも、私達だけが、いつも通りに振る舞えないのだろう。


私はカレイの身を口に運びながら、ちらりと正面の喜助君を盗み見た。喜助君はその睫毛を伏せて、カレイの身を解している。きれいな箸使い。手先が器用なせいなのか、それとも単に箸使いが上手いだけなのか、喜助君の箸先はするするときれいにカレイの身を解してゆく。何だかそれだけで美味しそうに見えてしまう。


「……そんな見られてちゃ食べにくいッスよ」


喜助君が目線を落としたまま言うので、私は思わず「え?」と聞き返してしまった。しかしすぐに意地悪げな顔を向けられて、自分の視線が気付かれていたことを知る。私は慌てて取ってつけたような笑顔を浮かべた。


「ご、ごめん、何か、つい」


そう付け足してやっと視線を外すと、自分のカレイを口に運んだ。すると今度は喜助君がじっと私を見つめてくる。それは恋人同士の他愛のない応酬のようだった。けれど、私達の間で交わされあう視線の意味合いは、今やもうそんな純粋に可愛らしいものではない。


私はそのことを思うと胸が痛くなる。だって、2人ともそれを分かっていて、口にしないのだ。目に見えているものを無理やり視界の脇に押しやって、初めからそこにありました、何も変わりありません、って顔をしている。2人揃ってそんな遊びをして、私達のこれからに一体何があるというのだろう。


「あの、サン?」
「はい?」
「今言わなかったらもうずっと言えない気がするんで、今言ってもいいッスか?」


それはあまりにも唐突な台詞だった。私はぴたりと咀嚼する口を止めて、喜助君の台詞の意味を探ろうと両目を見つめる。しかしさっきまでの視線の応酬や今目の前にある食事に、その台詞がどんな関係性を持つのか全く想像がつかない。声色だって普段と変わらない。だから私はよく分かっていないまま、こくりと頷いた。なぜか茶化して問い返せる雰囲気ではなかった。


喜助君は身を解しかけたカレイをそのままに、一旦箸を置くと、その手を膝の上に下ろした。改まったその態度に私の背筋まで伸びてしまう。何を言われるのだろう、と、疑問を超えて不安すら生まれてきそうになるのを必死で堪える。喜助君は少し何かを考え込むように視線を漂わせていたけれど、すぐにその目は穏やかな光をもって私を捉えた。


「今日、お客様が来たんスよ」
「…え、お客様って…」


咄嗟に思い浮かんだのは真子だった。数週間前の出来事が鮮明に蘇る。しかしそんな私の想像を悟ったのか喜助君は緩く首を横に振って、にこりと微笑んでみせた。


「ひよ里サンっス。猿柿ひよ里サン。覚えてます?」


この夏、猿柿副隊長と河川敷で言葉を交わしたことを、私は喜助君に伝えていなかった。たまらなく窮屈で切なかったあの出来事を、どうしても言えなかったのだ。だからこそ喜助君は私の記憶に問いかけるような言い方をしたのだろうけれど、私は今ここに猿柿副隊長の名前が出たことで、一瞬息が出来なくなったかと思った。


その反応で私の答えが分かったのだろう、喜助君は小さく頷いた。優しいいつもの笑顔のままだったけれど、そこにほんの少し、空気の糸を張り詰めさせる何かがあるような気がした。


「昔、ひよ里サンは優秀な副隊長で、何だかんだでボクの言うことに柔軟に従ってくれたんスよ」
「…そう」
「だからボクの我侭を聞いてくれる彼女に、なるべく苦労をかけないように気をつけてました」
「…そっか」
「そういうことを思い出してたら、今になって気付いたことがあるんスよ」


そこまでの喜助君の口調に、躊躇いや淀みなんてものは全く無かった。だから私の耳もすんなりそれを受け入れてしまう。しかし、そうやって簡単に聞いていていい話でないことは分かっていた。


もっと重大な、恐ろしいことを語るようにしてくれれば、私だってきちんと重たく呼吸ができただろうに。それとも本当に何でもないことを、喜助君は今から私に告げようとしているのだろうか。例えば「ひよ里サンが会いにきてくれて嬉しかった」とか、そんな簡単なことを。それだけで済むのなら、私はきっとまた緩やかに笑える。そして私達2人の、先の見えない悲しい遊びは続いていく。


「…ボクはあなたの為にならどれだけだって優しくも酷くもなれる」


それなら酷くなってほしい。咄嗟にそう思った私を、どうか、酷く惨たらしく、傷つけて。そうでもしないと、あなたも私も、もうどこにも行けないよ。