細 胞



白ひげ海賊団の2番隊を任される程の男でありながら、エースは時折、酷く繊細な面を覗かせる。それはきっと無自覚の表情。だからこそ、気付いている奴も少ないと思う。しかし今夜のようにいつになく早いペースで酒を煽るのを見せられると、おれとしてはやれやれと肩を竦めざるを得ない。


甲板の真ん中で盛り上がる連中から外れて、1人どんどん酒瓶を空けていくエースは、手の付けられない酔っ払い、あるいは、孤独に耐える気弱な少年。おそらくほとんどの奴らが前者と解釈したからこそこうして1人でいるのだろうが、おれにはどうしても後者にしか見えなかった。


「あんまり飲みすぎるなよい。明日には上陸だ」


普段なら明るく楽しい酒を飲む奴なのに、おれに忠告されて顔を上げたエースの目つきは、何かに傷つき警戒する獣のそれだった。こうも分かりやすい奴がいるか。


「マルコこそ、飲みすぎて、二日酔いだ何だって抜かしたら、許さねーぞ」


呂律の怪しい口ぶりで、エースがまた酒瓶を煽った。一体どれだけ飲んでいるのか。そろそろ本気で止めないと、それこそ二日酔いで使い物にならなくなっては困る。明日は武器の調達や財宝の換金など、やるべきことがいくらでもあるのだ。


「エース、飲むなら1人で飲んでねェで、他の奴らと飲めよい」
「あァ?何で」
「1人で飲んでちゃ、酔って海に落ちたって誰も気付いてくれねェだろい」


自分でそう口にして、ふと、先日と寝た時のことが蘇った。シャワーを浴びた、たったそれだけの小さな出来事に、おれはあの時どうしても正当な理由を付けたかった。だから、海に落ちたのかと聞いた。あいつはそれを微笑みをもって肯定した。それが嘘だということは勿論わかっていたし、あいつだって別におれを本気で騙そうとして言ったわけじゃない。いつもそうだ。おれとの間に必要なのは、真実や誠意なんてものではなく、むしろそんなものは無い方がいい。もしそんなものがおれ達の間で呼吸を始めたら、おれ達のアンバランスな関係はいとも容易く崩れていってしまうに違いない。


ぼんやりと考えを巡らせていると、また新たな酒瓶を手にしたエースが、ゆるりとこちらを向いた。


「マルコ、人って、何で嘘をつくんだと思う」


酔っ払いの思考回路は予測不可能だ。いつものエースからは想像もつかない哲学めいた問いかけに、うんざりするのと同じくらい、こいつの頭の中にもそんな考えがあったのかと驚く。


おれは様々な思惑を含んだ溜息を吐き、「そりゃ色んな理由があるだろうよい」と答えた。酔っ払いの質問に真剣に考えて答えるなんて時間と労力の無駄。エースが黙っている隙に、その手から酒を奪い一気に自分の喉に流し込んだ。


エースは酒を奪い返そうともせず、ただじっとおれを見ていた。ほとんど呆れた気持ちでその目線を受け流していると、暫くして「理由なんか1つだろ」と言う小さな声が聞こえた。


「人はさ、守りたいと思う奴を守る為に、嘘をつくんだろ?」


さっきまでの据わった目つきが、いつの間にか酷く悲しげな色を帯びていた。世の中にある嘘の全てがその通りだとは決して思わない。しかし、おれも今まで無意識にそんな嘘を重ねてきただろうし、そして、誰かを守る為につかれた嘘に、騙されたことだってきっとある。酔っ払いの戯言に、思わず感心してしまった。


「…なるほどな。それで今日はヤケ酒ってわけかよい」


次の酒瓶を渡してやると、条件反射のようにエースはそれを勢いよく煽った。明日の朝、頭が痛いだとか吐きそうだとか喚く姿を想像すると面倒だが、あんな横顔を見せられて酒を取り上げるなんてとてもじゃないができなかった。結局おれは弟には甘いのだ。


ふと目をやると、船室の窓からこちらを見ているの姿を見つけた。まさかそんなところにいるとは思わなかったので一瞬驚いたが、ひらひらと手を振られて、おれも軽く頷きを返してやる。俯いているエースはの存在に気付いておらず、小声で何かを呟いた。


「…………、おれじゃねェんだ、…」
「あ?何だって?」


ちょうど大きく波音がしたのと、あまりにも歯切れが悪いのとで、おれはエースの言葉を聞き取れなかった。しかしエースはそのままごろんと横になると、糸が切れたように寝息を立て始めた。こいつは限界に達するとすぐに寝る。このデカい体を部屋まで運ぶのがどれだけ大変か、本人は知ったことではないのだろう。


溜息をついて、再び船室の方を見やった。アルコールを含んだ自分の身体が、沸々とを欲しがり始めているのが分かる。窓ガラスに手をついてこちらを見ているが小さく手招きをするのを見て、おれはゆっくり立ちあがった。