群 生



夜の見張り番は、決して嫌いな仕事ではない。あまりにも寒い海上ならば少しは辟易するものの、基本的に高いところに上るのは気持ちがいい。認めたくはないが、何とかと煙は高いところを好む―というやつだろうか。満天の星空をぼんやり見上げていれば、時折流れ星が光ることもある。流れ星には願い事を、なんてことは今更しないが、それでも星が落ちる度にどこかの誰かの願いが叶うといいな、位のことは思う。


「サッチって、ロマンチストだよね」


ロマンチスト、と実際に言葉にされると多少の気恥ずかしさはあったが、くすくすと笑い声を立てる横顔を見ると、そんなものはすぐにどうでもよくなった。眠れないから、と言ってマストに上ってきたはキャミソールにショートパンツという寝間着の格好のまま。おれは眉を顰め、自分の上着をその肩に掛けてやった。


「ロマンチストに加えて優しいときたら、もうモテるしかないわね」
「それがなぜだかそうならねェんだよなァ。何でだと思う?」
「私は好きよ、サッチのこと」


そう言って、は胡坐をかくおれの内腿に手を置いた。こういう仕草を自然とやってのけるところが、の最大の魅力であり、同時ににとっては最大の予防線なのだと思う。男ばかりの海賊船で若い女が生きていくためには、絶対的な主導権を常に自分が握っておく必要があった。いくらおれ達が家族だといったって、中には善からぬことを考える馬鹿野郎もいる。そんな馬鹿な奴らから己の身を守る為に、きっと子供の頃から沢山の術を身に着けてきたに違いない。


たおやかなナリをして、実のところ死ぬほど苦労してきたんだろうな。そう思ってちらりと横顔を盗み見ると、それより一瞬早くその目がおれを捉えたので、思わずぎくりと内心が怯んだ。


「サッチ、私、どうすればいいんだと思う」


聞こえるか聞こえないか、それ位か細い声では言った。どうすればいいって何だよ。咄嗟にそう答えると、わからないけど、とまた頼りない答えが返ってくる。


「わからないけど、…誰かを裏切っている気がするの」


実のところ、が何を言いたいのか、分からなくもないのだ。ややこしい詳細は知らないが、伊達に長年この船に乗り続けてきたわけじゃない。仲間に対する洞察力ならそこそこ自信がある。特にマルコとに関しては。


おれはマルコとより少し遅れてこの船に乗った。出会った頃、はまだ東西南北も知らねェ程のガキだったが、妙な女っぽさを醸し出していたのはよく覚えている。取り立てて美人でもないくせに、そこにいるだけで何となく体の奥底が疼くのだ。今となっては慣れてしまってどうということもないが、新入りなんかがを意識してぎくしゃくしているのは未だによく目にする。何が、とははっきり言えない。しかしには男を男たらしめる才能があるのだ。


そうして乗せられた男のうち、真っ先に許しを得たのがマルコだった。あの頃は二人とも異性を知らなかった筈だが、マルコと寝て以来はすっかりその色気を手懐けるようになったのだから、やはりマルコにも似たような才能はあるのだろう。


厄介なのは、マルコとの間に、純粋な恋愛感情が一瞬たりとも芽生えなかったことだ。


「…お前は誰のことも裏切ってなんかいねェよ」


がマルコ以外の男とも時折関係を持っているのは、おれも何となく気付いている。それが誰なのか、とまでは詮索したくもないのでしないが、の振る舞いやマルコの微細な表情の変化なんかを見ていれば分かってしまう。ただ、マルコだって陸に上がれば女も買うし、ナースに唆されて寝たことだって一度や二度じゃない。だから、二人のその行為は、決して互いへの裏切りなんかではないのだ。


「お前が本当に愛せる相手を見つけたら、そいつのことだけは、裏切ってやるなよ」


予想外の言葉だったのか、は僅かに目を瞠った。しかしすぐにその目を細め、微笑んだ。暗闇でもその微笑みには月光のような柔らかさが宿っている。がこうして微笑むのも、予防線の一種。この微笑みを向けられて、牙を剥ける男は滅多にいない。


はおれの内腿に置いていた手をするりと滑らせて、足の付け根を指でなぞった。一瞬おれのものになりかけた主導権が、あっという間に奪われたことを知る。さすがだな、と、心の中で息を吐く。はそのままおれの肩に頭を預け、サッチ、と名を呼んだ。


「サッチ、…キス、したい」
「……おれとじゃないだろ?」


の指先の動きが止まった。強く風が吹いて、長い髪をざあっと揺らしていく。


「……サッチとしたいの」


見え透いた強がりは、おれの心まで苦しめる。