螺 旋



海が凪いでいる。もうすぐ上陸だというので、船員たちはあれこれと準備に走りながらも、揃って浮かれた表情をしていた。上陸するのは暫くぶりだし、いくら海上での生活が楽しいといったって、陸には海に無いものが沢山あるのだ。


落ち着かない船内で、おれは1人ダイニングで新聞に目を落としていた。パンツのポケットからシガレットを取り出し、火を点ける。そして一度口から抜いた時、ふと誰かの影が差したので顔を上げた。


「どうしたマルコ、随分ご機嫌ナナメじゃねェの」


冗談めかしてそう声を掛けてきたのは、船内一のお節介男、サッチ。おれの指先にあるシガレットを軽い手つきで奪い、吸いさしを銜える。


「げ、まずいな、これ。変えろよ」
「勝手に人の吸いさし取っといて文句言うんじゃねェよい」
「おー、怖ェ。ピリピリしやがって」


別に機嫌が悪い自覚は無かったのだが、サッチがこんな風に何かを察して寄ってくるとき、おれは相当な不機嫌さを撒き散らしているらしい。サッチ曰く、この状態のおれに声を掛けられるのは自分だけ、だそうだ。


「ま、ピリピリする理由は察しがついてんだけどな」


にやにやと目を細める様子が癪に触って、おれは席を立った。こんな奴に隣にいられては落ち着いて新聞すら読めやしない。そんなおれを、まァ待てよ、とサッチが穏やかな口調で諌める。


ならさっきまでシャワー室にいたぜ。コレ、脱衣所に忘れてたって、ナースが届けに来た」


そう言って投げ寄越されたのは、貝殻を模した飾り付きのヘアゴムだった。これは普段からあいつがよく身に着けているもので、確か、今朝もこれで1つに結い上げていた。ヘアゴムをシャワー室に忘れることなど別におかしくも何ともないが、今この時間にシャワー室にいたことが、おれには何よりも不愉快だった。丸い窓枠の向こうは、ようやく陽が沈みきるところ。こんな時間にシャワーを使うまともな理由なんて、あるものか。





自室に戻ると、バスローブ姿のがペディキュアを塗っているところだった。独特の鼻を突くにおいに、なぜおれの部屋で、と言いたくなったが、飲み込む。は丸椅子に片膝を抱えて座り、その膝に顎を乗せたまま、ちらりとおれに視線を向けた。おれはそのまま床に腰を下ろす。


「何でこんな時間にシャワーなんざ浴びたんだよい」


別に聞く必要は無かった。しかしこの状況では聞かない方が不自然だろう。は何も答えずに、ペディキュアの蓋を閉めた。その仕草はこの不自然さの中で唯一自然で、おれはもう諦めようと思った。


「…海にでも落っこちたかよい」
「そんなところ」


取り繕ったとすぐ分かるおれの言葉を、は僅かな笑みでいなした。


「それより、見て。綺麗な色でしょう」


赤色の爪先が、おれに向かって伸ばされる。の身体は闘うことを選んできた人間のそれだ。日に焼けていて、しなやかな筋肉があり、消えぬ傷痕も少々。もうじき目にするであろう陸の女とは、優劣こそ付け難いものの、確かな違いがある。


伸ばされた小さな足を右の手の平に乗せた。そのまま軽く手を持ち上げると、ゆるやかにの脚も持ち上がっていく。


「やめて」


片足をある程度の高さまで持ち上げたことで、おれの位置からはの白い下着が見えていた。が勝手に足を下ろしてしまわぬように、その足首を指で固定する。


「離して…」
「何でだよい」
「…恥ずかしいもの」


俯き加減に言うくせに、その潤んだ目はしっかりとおれを捉えていた。そんな顔を見せられては、誘われているとしか思えない。その証拠に、の足先は羞恥と期待とで小さく震え始めている。大体、この女にとっての羞恥とは、日々を飾るためのスパイスでしかないのだ。


忠誠を誓うかのように、華奢な足の甲に唇を寄せる。そのまま少しずつ上へ上へと移動させてゆけば、膝を過ぎた辺りでの吐息が露骨に荒くなった。体が椅子から落ちないように片腕を腰に回してやり、舌先で下着の真ん中を突く。途端に高い声を上げたが、片手で己の口元を覆い、もう片方の手でおれの頭に触れた。


濡れた下着をずらしてやれば、直接おれの目の前に晒しているという状況のせいか、赤く熟れたそれはいっそう蜜を溢れさせた。たとえせがまれたとて、女の其処に口を付ける行為をおれは好まない。しかし、妙な時間にシャワーを浴びたを見ていたら、そうせずにはいられなくなった。おれは多分、何かを見つけ出してやろうとしているのだ。の身体の奥底にある、残酷な痕跡を。


「あ、だめっ、だめ…っ!」


背を丸めおれの頭を抱くようにしながら、は脹脛をピンと強張らせて一瞬のうちに上り詰めた。容易いことだ、と再び其処を舐め上げて嘆息する。の身体を思うままにしてやるのはとても容易い。しかし、何度こうしてみたって、「手に入れた」と思えたことは一度もない。


時期を同じくして船に乗ったを、初めて奪ってやったのはもう随分昔の話。まだ男も女も知らない二人だった。それから今日まで、セックスという低俗であり高尚な行為を飽きもせず繰り返してきたが、たったそれだけのこと、でしかない気がする。まさかこの歳になってもそんなことを考え続けているなんて、十数年前の自分は想像だにしなかっただろう。


「マルコ、好きよ。…愛してる」


いつの間にか椅子から降りていたが、手慣れたようにおれの下腹部に手を伸ばす。緩んだバスローブの襟元から丸い膨らみが覗いて、もうどうにでもなれ、という気持ちで、おれはそのままを組み敷いた。