色白で痩せっぽちで、グレーの瞳を持つ少女。 幼い頃、彼女は『他とは違う』という理由だけで、周囲の子どもたちから迫害されていた。子どものそれは陰湿で残酷だった。わざと少なく盛られた給食を黙って口に運ぶのを見て、俺は幼心に同情した。彼女はこの小さい町でずっとこんな仕打ちを受けるのかと。しかし中学に上がると、『他とは違う』彼女の外見が、上級生や他の小学校出身の生徒たちから持て囃されるようになった。作り物のように小さな顔と、すらりと伸びた手足は、確かに『他とは違う』少女だった。 当時、2学年上のサッカー部の主将が彼女に告白したと聞いたときは、ぐさりと背中から急所を刺された気分だった。彼女のことだ、きっと無為に頷いてしまうだろうということは容易に想像がついた。彼女は昔からそうなのだ。『他とは違う』美しさを子供ながらに持て余し、そのグレーの瞳で、目の前の出来事を全て従順に受け入れてしまう。だから、嫌味なあだ名を付けられても、掃除当番を押し付けられても、泣き顔ひとつ見せやしない。名前も知らない男に言い寄られても、触れられても、首を横に振ることはしない。まるでそれが当たり前だとでもいうように。 ![]() すっかり日の暮れた住宅地。ある一軒家の前に黒い軽自動車が停っていた。助手席から出てきたのは近くの女子高のセーラー服をまとった同級生。彼女は窓から車内を覗き込むようにして運転席の誰かと言葉を交わすと、やがて車は静かなエンジン音をさせながら、向こう側へと走り去っていった。 赤いテールランプが見えなくなるまで、彼女は車の去った方向にずっと顔を向けていた。ほんの数メートル後ろに俺がいることなど気付きもしない、無防備で健気な後ろ姿。相変わらずだな、という嫌味な気持ちが、心の中にふつりとトゲを生やす。俺はイヤホンを耳から外して、大きく咳払いをしてみせた。 「こんばんはー」 勢いよく振り返った彼女の両目が、くっきりと真ん丸に見開かれる。及川くん、と、その唇が無音で俺の名前を形作った。その短くも美しい所作に、思わず笑みが零れる。 「久しぶりだねちゃん。ね、さっきの車ってもしかして彼氏?」 妙な気まずさを生んでしまわないように敢えてストレートに問うと、彼女は小さく頷いた。最後にこうしてまともに会話したのはいつだったか覚えていない。あいさつのような言葉以上に、久しぶりだと感じてはいるのだが、目の前に佇む彼女はそんなことは気にしていないようだった。 車持ちの彼氏に家まで送ってもらったところなんて同級生に見られたら、普通は多かれ少なかれ狼狽するものじゃないのか。しかし彼女は久々に顔を合わせた同級生に多少の気まずいシーンを見られても、少しも嫌そうではなかった。そういうところが、やっぱり『他とは違う』女の子なんだよな、と思う。鈍感というか、飾らないというか、許容範囲が広いというか。 「相変わらずだね、ちゃんは」 「及川くんも全然変わらないね。・・・でもまたちょっと大きくなった気がする」 不意に彼女の手が、身長を推し量るように上にかざされた。薄っぺらい手。彼女も女の子にしては背が高い方だと思うけど、その小さな顔は俺にとって、ちょうど良い場所にあった。グレーの瞳に門灯の光がちらついている。隙だらけの立ち姿。 もしも触れてしまったらもう取り返しがつかなくなってしまいそうな、そこはかとない恐ろしさが彼女にはある。まるで蜘蛛の巣だ。そこに居ながらにして寄ってきた羽虫を無選別に絡め取る。そうして今まで何人の男と寝てきたんだろうか。近所に住む、『他とは違う』女の子は、時折ふと俺に邪な想像をさせた。そのネイビーのセーラー服に隠された、顔よりももっと白いであろう薄い肌とか、男とベッドに入ったときに聞かせる声とか、唇同士が触れたときの感触とか。実際は手を握ったことすらないのに、俺は今まで何度も彼女をそんな目で見てきた。いじめられっ子だった小学生のときから、俺の中での彼女の立ち位置は変わっていない。 「ちゃんって本当モテるよね」 思考が危うい方向に進みかけたので、ごまかすように明るい声を出した。 「中学の時から、彼氏がいなかった時期なんて無いんじゃない?」 「そんなことないよ。及川くんのほうがずっとモテるでしょ」 「あー、俺はねえ、本当に好きな子には好きになってもらえないタイプだから」 ぽろりと本音のような科白が口をついて、言った自分が驚いた。彼女の言う通り、俺に好意を寄せてくれる女の子はいてくれる。実際に付き合ってみたことも何度かある。皆可愛いし、試合中に聞こえる黄色い声も嫌いではない。でも、ただそれだけのことだと俺はいつも思う。 彼女は少しだけ何かを考えるふうに視線を外し、口元に手をやった。薄く色の付いた唇と、細い指先は、それだけで簡単に俺の目線を奪う。 「及川くん、今きっと、『本当に好きな子』がいるのね」 てっきりごまかされるかと思っていた分、彼女の言葉は想定外だった。彼女はまっすぐに俺を見上げていて、それが何の計算もない言葉なのだということはすぐに分かった。蜘蛛の巣だな、やっぱり。ここ暫く雨なんて降っていないけれど、彼女の巣にはきらきらと雨粒がきらめいて見える。手を伸ばしたら簡単にこわれてしまいそうで、そのままずっと観察していたくなるような。 「・・・さあ、どうだろう?」 「あ、そうやってごまかすのね。ずるい」 彼女はくすくすと笑った。舐めるように俺の内面に触れておきながら、そんなことは知りませんって顔をしている彼女の方がずっとずるいだろ。 「じゃあ、ちゃんはいるの?」 さっき彼氏に家に送り届けてもらったばかりなのだから、彼女が何と答えるかは大体分かっていた。案の定、「いるよ」と、あらかじめ決まっていたような科白が返ってくる。だから俺も、用意していた科白を放つ。心の中にできた意地の悪い刺を最大限に尖らせて、「本当に?」と。 彼女は怪訝そうに眉をひそめた。今日初めて見る表情だった。高校に進んでからの彼女のことはよく知らないけど、中学3年生、15歳までの彼女のことは、俺は誰よりも見てきた自信があった。この手で触れてみたことはなくても、俺の眼差しはいつも彼女を追っていた。たまにそのグレーの瞳が俺を捉える時の胸のざわつきが、あまりにも心地よくて。手に入れてしまうことが惜しく思える位、俺にとっての彼女はやはり、『他とは違う』ただ一人の女の子だった。 「ちゃんは、自分を選んでくれる奴が好きなんでしょ」 暗に、好きだと言ってくれる奴なら誰でもいいんだろと言ったつもりだった。彼女がゆるやかに首を傾げる。 「・・・及川くんは、そうじゃないの?」 まるで世界の真実がそれであるとでも言いたげな口調だった。 きっかけなんてものは大して必要ない。ただの偶然の再会。他の男の気配を存分に漂わせる彼女と、頭の片隅で何度も彼女に触れてきた俺。ポケットから出した手のひらで、彼女の髪に触れてみる。彼女の髪先がふらりと揺れて、表情がなめらかに移ろった。ああ、なるほど。美しい蜘蛛の巣は、こうして優しく触れれば、壊さぬまま自分のものにすることができたのか。 「俺はね、選びたい子から選ばれるのを、もう十年近く待ってるんだ」 隙だらけで鈍感なくせに、こういう勘だけは鋭いんだな。グレーの瞳に、はっきりと俺のシルエットが映っている。驚きと戸惑いと、ほんの僅かな欲望の色。選ばれて求められて流されてきた人生から、抜け出す時だよちゃん。光に透ける蜘蛛の糸が指に絡まる。もうどちらからも逃げ出せない位、幾重にも幾重にも。 fin. |