背後で茶を注ぐ音が、妙に温かい。それは単に湯呑から湯気のたつ様を想像しているからかもしれないし、あるいは、茶を注いでいる女の姿を、無意識に背中の目で見つめているからかもしれない。

「お茶淹れたよー」

のんびりとそう言いながら、は俺の前に湯呑を差し出した。俺はろくに礼も言わずにその湯呑を手に取ると、おそるおそる茶をすすって、その熱さにこっそり舌を引っ込める。俺は猫舌なのだ。湯呑に口をつけたまま、俺は向かいに座るのことを、こっそりと盗み見た。

は最近髪を短くした。腰まであった髪を肩につかない位にまで切ってしまったものだから、普段人の見た目の変化に疎い俺にもはっきり分かって、俺はつい「どうした」と言ってしまった。するとはにこりと笑って、「失恋したんだよ」と言った。俺はに恋人がいたことを知らなかった。

聞いてはいけないことを聞いてしまったようで、俺は胸の中で後悔した。例えば失恋したということを、新八や神楽(まぁ無いだろうが)なんかに聞いとしたら、俺はそこで笑い飛ばしてやるだろう。だけどにはそういうわけにはいかなかった。は俺にとって、間違いなく特別だった。

「あー、おい」

沈黙に耐えられず俺が口を開く。すると丸く澄んだ目がこちらを向いた。

「そこに、客に貰ったサブレだかサブローだかあるからよォ、食えば」
「サブレ・・・」

は俺が顎で指した場所を見ると、すっと立ち上がってそこに置いてあった白い箱を手に取った。そしてまたソファに戻ると、膝の上で箱を開ける。

「あ、鳩の形!」

は小袋に入ったそれを箱から取り出すと、顔の前で持ってにこりと笑ってみせた。鳩の形、ということが、そんなに嬉しいんだろうか。分からないが、が笑うから俺もつられて笑ってしまう。きらきらした目では鳩サブレを見つめ、その袋をぴりぴりと破り開けた。俺は何も言わずその一部始終を見ている。その小さな口が、鳩の尻尾部分をかじる。伏せていたまつげが上を向いて、きらきらした目がまた俺を見る。

「おいしい!」

ぱっと弾けるような笑顔。こうして笑っていると、こいつが失恋したことなんてことを、俺は忘れそうになってしまう。でも確かにこいつは、失恋のショックで自慢の髪を切ったのだ。わかりやすいといえばそうだが、その決意はかなりのものだったのだろうと思う。

サクサクと音を立ててサブレを頬張るを見ながら、俺は後悔していた。俺はなぜ、こいつの恋のことを知らなかったのだろう、と。自分がそんなおめでたい鈍さを持つ人間だとは思いもしなかった。のことを特別だと思っているならちゃんと見ておけよ、と自分を叱責したい位だ。

「美味しいね、もう1つもらっていい?」
「おー、食え食え」

はまた嬉しそうに笑った。やはりその顔には失恋の辛さなど微塵も見えない。髪を切ることで全て清算できたのだろうか。それならいいのだが。この笑顔が、無理して繕われたものでないのなら。

「銀ちゃん、ありがと」

突然、少し照れくさそうにが言ったので、俺は思わず目を見開いた。

「いつも通りでいてくれて」

俺はいつも通りを装っているだけだ。本当は気になって、仕方が無いのに。しかしそんなことを言えるはずもなく、俺は「何の話かわかりませんけどォ」と、とぼけた。が小さく、また笑い声をたてた。