放課後の教室に立ち込める、切なく後ろ暗い空気。
昼間と夕方とで、こんなにも表情の変わる部屋が他にあるだろうか。



甘い毒針




「・・・だめだよ、先生」

そう言ったの口調がちっともダメだと言っていないのが笑えた。
一応俺の胸に手を置いて制しているつもりらしいが、その目は上目遣いに、くっきりと三日月形になって笑んでいる。今時の高校生はどうも、体も中身も発育がいいらしい。

俺はセーラー服姿のを机の上に座らせ、の体を挟むようにして机に両手をついている。二人の顔の距離は、どう考えたって普通の教師と生徒のものではない。もしも誰かにこんなところを見られてしまったら、何の言い逃れも出来ないだろう。それでも一応、言い訳用に国語の教科書を用意してきているのが、らしいといえばそれだった。


「先生だめ、ここ、教室だよ」

一段と顔を近づけてみると、また俺を制しようとが口を開いた。思ってもないことを簡単に言葉にする、その唇を何も言わずに塞いでやる。そうすればは簡単に口を開けて、俺を受け入れた。拙い舌使いではあるが、それが逆に俺を駆り立てる。わざと拙い振りをしているのだろうか、そう思案させるほど、は歳の割りにいい女だった。その証拠に、俺は年甲斐もなく、セーラー服姿の女にまんまと欲情させられている。

後頭部に手を宛がい、より一層深く咥内を犯そうとすれば、苦しげな吐息が漏れ出した。が俺のワイシャツを握る手にも力がこもり、俺は次にが発するであろう台詞を予想する。それはおそらく非難めいたものだろう。心のこもっていない、何の本音も混じっていない、形式ばった非難。はよくそれを口にするが、俺は案外それを嫌だとは思っていない。いやよいやよも好きのうち、というのが頭に浮かんで、何となく気分がいいのだ。

長いキスを経て顔を離せば、二人の間には銀色に光る糸が引いた。

「・・・だめだって言ったのに」

うっとりと涙目になっては言う。
乱れてもいないセーラー服が窮屈そうで、俺はそれに手を伸ばそうと思ったが、それは何とか握り拳を作って耐えた。さすがにここで最後までしてしまうのには抵抗がある。も俺のそんな様子に気付いたのだろう、俺の体が離れた隙に、素早く机から降りた。



とこんな関係になったのは、半年ほど前だった。最初は教師と生徒という立場ゆえに、激しい葛藤もあった。正直今でも悩みや障害はつきない。しかし当時のそれよりは随分楽になったものだ。明るくあっけらかんとした性格のでさえ、こういう関係になった当初は、よく泣いていた。そりゃあはまだ十代で、まともな恋愛の経験など皆無に等しかったのだ。それなのにこんな面倒くさい恋愛に足を踏み入れてしまったのだから、泣かずにはいられなかっただろう。 それでも俺は教師として、男として、言ってやるべきことは全て言ってやったつもりだ。そうすればそのうちも泣かないようになり、今では俺を誘い煽るほどにまでなった。全く女ってのは、何歳だろうが恐ろしい生き物だ。

俺がそう思っていることなど、は思いもよらないだろう。いや、もしかしたらそんなことは完全にばれていて、それを上手く隠しているだけなのかもしれないが。

「ねえ、先生」
「あ?」

いつの間にか帰る準備を始めていたは、鞄の中に国語の教科書をしまった。
そして俺の腕を取ると、ぴったりとくっついて来た。何ともまあ可愛らしい行為。口には出さないが俺はそう思い、頭を撫でてやる。するとは思いもよらない言葉を放った。

「先生ってさあ、変態だよね絶対」
「・・・男なんてなァ、みんな変態なんだよ。性欲のカタマリだよ」
「先生はレベルが違うと思う」

肩を竦めて楽しそうに笑う。自分が変態だと言われたことに関しては、特に否定しようと思わない。がそう思うならそれでいいし、そもそも、変態ではないと胸を張れるような行動を、の前では一切していない。現にこうして理性の微塵もないようなキスを、教室といういわば公共の場でしてしまっているのだから。そして俺はそのシチュエーションを少なからず気に入っているのだから。

俺たちは一緒に教室を出ると、普通の教師と生徒の距離に戻った。 さすがに廊下では、いつどこで誰に見られるか分からないという心配がある。俺自身は、この関係が周囲に露呈してしまっても構わないという気がするのだが、のことを思えばそうも言っていられなくなる。俺自身のことはどうでもいい。しかしのことはそうはいかない。そういう話は自分と関係の無いところで好き放題に駆け回るものだし、そうなればのこれからの人生にも支障を来たしかねないからだ。

二人で歩く薄暗い廊下はひんやりしていて、もうすぐ冬か、とぼんやり思った。窓の外のイチョウは葉をちらほら落とし始めている。隣のを横目で一瞥すると、も同じように窓の外を見ていた。その丸い頭のてっぺんの、小さな旋毛。不意にそこにまた手を伸ばしたくなって、やめる。

「俺・・・、先生さァ」

小さな声で言うと、が窓からこちらに顔を向けた。その目は俺の言葉の続きを待っている。 ガキのくせに、それはすっかり女の目だ。

「いつか教室でやっちまうかもなァ、お前のこと」
「・・・・・・もう結構色んなことしてるじゃん」
「でも最後までいったことねェだろ」

俺の言葉に、が困った顔をした。そりゃ困るだろう。はもともと教室でそういうことをするのを怖がっていたのだ。俺が次第に慣れさせただけ。自分が学生のときは、教室でキスなんて絶対に嫌だったくせに、教師になった途端、それを生徒に教えている。とんだ不良教師だよ、全く。

俺はのことを思って、関係が露呈しないように、なんて言いながらも、本当はうっかり露呈してしまえばいいと思っている。のそれからの人生がどうなっても、俺が面倒を見るからそれでいいじゃないか、なんていうことを、真面目に考えている。それが正しくないということは分かっている。しかし恋愛なんてものは、正しいとか正しくないとか、道徳とか倫理とか、そういうものでは制御できないものだろう。そんなもので押さえ込んでしまえるような恋愛なら、最初からしないほうがいい。

「・・・冗談ですうー。さすがにな、教室でってのは」

くしゃくしゃとの頭を撫で回してそう言ったが、は俺の言葉を正面から受け止める程純粋ではなかった。俺の手を取って、そのまま白衣のポケットの中へと入れさせる。

「教室で、っていうのが、『そそる』んでしょ?」
「あれ?俺それ言ったことあったっけ」
「無いけど、分かるよ。丸分かり」

はそう言って笑うと、さっと俺から離れた。廊下の向こうから、部活姿の生徒が1人こちらに向かって歩いてきたからだ。それは俺が担当している金髪頭の生徒、沖田。

沖田は俺たちに気付くと、嫌味な笑い方をした。こいつは妙に勘のいい野郎だから、もしかしたら気付いているのかもしれない。それでもいいか、と俺は思った。こいつにならバレてしまっても、何ら支障がないという気がしたからだ。こいつなら、俺たちの関係を周りに吹聴するなんて面倒なこと、わざわざしないだろう。

「よお沖田くん、真面目に部活に取り組むなんて珍しいじゃねェか。雨でも降んじゃないのォ」
「アンタには言われたかありやせんよ、不良教師」

沖田は俺にそう返すと、隣にいたの方を見た。 そして片方の口角だけを不敵に上げて笑ってみせた。

。こんな不良教師の『補習』なんて受けてちゃあ、てめえが馬鹿になりやすぜ」
「・・・・・・」
「まあ誰もいねえ教室での『勉強』なら、はかどるってのも分かりやすけど」

の顔がさあっと青ざめた。これは完全にばれてしまっているらしい。
沖田は満足したのか、んじゃまた、と言い残して行ってしまった。言うだけ言って、かき回すだけかき回していきやがって。とんだガキだ、あいつも。

「オーイ、チャン。大丈夫?」

すっかり俯いてしまったの様子を窺うように、少しおどけて声をかけてみる。は小さな声で、うん、と短く答えた。全く大丈夫な様子ではない。俺は軽く溜息をついた。

「あいつなら心配いらねえよ」
「・・・うん」
「万が一何かあっても、お前さんが心配することなんざ何も無ェから」

そう言ってやれば、はようやくゆるゆると顔を上げた。

「先生こそ、何も心配しなくていいからね」
「俺ァ最初っから何の心配もしてねェけど」
「私も平気だよ。何も気にしないから」
「おー」

俺を見上げてにっこりと笑う。その笑顔には確かに嘘偽りは無かった。の笑顔は邪気がない。それを見て俺はいつもほだされてしまう。そのくせ時に全てを知り尽くした女みたいな、妖艶な笑い方もするもんだから困る。俺はどんどん支配される。

「私ももうすぐ卒業だしね」
「おー、そうだな」
「あ、卒業までにちゃんと先生の願いは果たすからね。教室でエッチ。しようね」
「・・・・・おー」

予想外の発言に一瞬言葉を失う俺を見て、はまた笑った。らしくない反応が面白かったのだろう。

昇降口まで送ってやる。そこから見える校門の辺りには、部活を終えた生徒たちがわいのわいのと騒いでいるのが見えた。は上履きからローファーに履き替えると、とん、とつま先を鳴らして、俺を見上げた。別れのあいさつのつもりでひらひらと手を振ってやったが、はそうしない。その目は余裕ありげに細められている。

「先生」
「あ?」
「私は先生がすっごく好きだから、怖いことなんて何にも無いよ」

は平然とそう言うと、じゃあね、と言い少し早足で歩き始めた。校門へと向かうその後姿を見ながら、俺は緩む口元を手で覆う。華奢な後姿、俺はその制服の下の白い体を、何とも鮮明に思い出すことが出来る。

どんな殺し文句を言われても、すぐに抱きしめてやれない関係。どんなに気分が良くても、キスをする場所を選ばなければいけない関係。不自由な鎖に俺たちは雁字搦めにされている。

それでもその不自由さは、自由奔放な俺たちにとっては丁度いい。 の言ったとおり、もうすぐ卒業だ。そうなれば、沖田の目の前でだって誰の目の前でだって、見せ付けるように濃厚なキスをしてやろう。思う存分してやろう。ああその前に、教室でのセックスもお忘れなく。