僕の涙を拭って



報われない恋というのがあるのなら、おれは今まさにその真っ只中にいるのだと思う。

欲しいものは何が何でも手に入れてきた。そうしなければ気が済まないし、そうしなければ、失うばかりだから。しかし今回ばかりはそうもいかなかった。どんなにおれが欲しがっても、目の前の女は、決しておれの手には入らないのだ。


「そういう力任せのやり方はよくない」

は冷静な声で言った。

「あの子は他の女の子とは違うのよ?とびきり真剣なの。あの子泣いてたよ」

咎めるような視線を向けられ、おれは堪らず目を逸らす。そのまま頭に軽く乗せていただけのテンガロンハットを、無理やり深く押し込んで、目元を隠してしまった。こうすれば、の冷たい視線を浴びて凍りつかされてしまうこともない。

の言う『あの子』というのは、昨夜おれが部屋に連れ込んだナースのことだ。彼女が前々からおれに気があるのは知っていて、昨夜は特別にそのアピールがしつこかったから、酒の回っていたおれは勢いのままに彼女を抱き込んだのだった。痩せても太ってもいない、普通の体だった。ナースに手を出すほど女に飢えているわけではない。しかし昨夜の彼女が身につけていたワンピースが、どうしようもなくおれの理性をぶっ壊したのだ。

彼女はのお下がりを着ていた。

「あいつはおれの事が好きだって言ったんだ。合意の上のことじゃねェか」

それは酷く情けない台詞だった。おれのしたことは絶対に間違っていたし、いくら彼女がおれに好きだと言ったからといって、昨夜の行為は合意の上とは言いがたいものがあった。現に彼女の手首にはおれの指の跡がついていたし、の話では、泣いていたというのだから。

はそんな卑怯なおれを黙って見つめていたが、暫くすると、呆れたような深い溜息を漏らした。その気配におれの胸はずんと重たくなる。それと同時に苛立ちが募る。どうしたって報われないその苛立ち。


「あの子はエースのことが本当に好きなのよ。エースがあの子のことを好きじゃないなら仕方ないけど、でも、むやみに傷つけることはやめて」

その台詞をお前が言うのかよ、
何でおれが昨夜あの女を酷い目に遭わせたか、どうしてそこをもっと深く追求してくれないんだよ。おれの記憶の中で、あの黒いワンピースが翻る。あのワンピースは絶対にが着ていたものだ。きっと新しい服を買ったか何かの理由で、後輩であるあの女にくれてやってしまったんだろう。おれはあのワンピースを着ているがとびきり綺麗で好きだったのに。

は垂れ下がった長い髪を耳にかけると、手に持っていたナースキャップを被り直した。休憩が終わったということなのだろうか。貴重な休憩を、わざわざおれに説教するために割いたのか。謝らないといけない。でもおれの口はからからに渇いてしまっていて、上手く言葉を紡げなかった。

「・・・私にとってあの子は妹だし、エースは弟なの。どっちも大事なのよ。分かってね」


わからねェよ。そう幾つも歳は違わねェじゃねえか。なのに何でおれはいつまで経ってもお前の弟という範疇を超えられないんだ。どうして。おれが、お前の面影を思って、違う女を抱いてしまうような、そんな馬鹿な男だからか?

のピンヒールがこつこつとデッキを鳴らして過ぎ去っていく。そしてその音が完全に消えてしまうと、おれは深い溜息をついた。こんなにこんなに好きなのに、こんなにこんなに、欲しいと思っているのに。行き場を無くした身勝手な感情は、いつになったら過ぎ去っていってくれるのだろうか。